wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

鵜飼健史『政治責任』

本日は千里山2コマ。昨年度後期から対面に戻っているのだが、どうも時間配分がおかしくなっていて、本日は早く終わりすぎ。それはさておき電車読書の備忘はなぜ購入したかすら記憶から飛んでいる表題書。著者は政治理論系の研究者で、近年の無責任な政治状況に対して、責任とはなにかという問いを、丸山眞男アーレントなどの著作をひもときながら考察し、責任をとらない政治家達に対して、「しかたがない」をやめる、特定の支持をやめる、選択の余地をより拡張する選択肢を選ぶなど、わたしたち(主権者)が責任をとることで、未来の選択可能性を維持することができるとしたもの。こういう問題に早急な解を求めることはできず、主権者の質を高めるしかないというのは原理・原則論としてはわかるのだが、気分的にはなぜ購入しようとしたのかという疑問に行き着かざるを得ない。

政治責任 民主主義とのつき合い方 - 岩波書店

常石敬一『731部隊全史』

引き続き電車読書の備忘。石井四郎軍医が陸軍軍医として防疫研究室創設をはたらきかける1930年から、1936年に平房に本格的施設を建設し、内地医学部ボスを嘱託とし、その弟子達を研究者として迎え入れ、ノミ・シラミなどの育成(人体実験に直接関与)する雇員までのビックサイエンスを作り出すも(上位になるほど直接「手」はくだしていない)、42年の細菌攻撃の失敗(日本兵が大量にコレラに罹患)、敗戦と米軍・ソ連軍の追求、戦後の血液製剤・BCGの功罪までを述べたもの(731と呼称されたのは1941年前後だけとのこと)。43年に人体解剖した病理標本を大量に持ち帰り論文を発表していたことで、アメリカに押収される羽目になったのは笑えるところ(ただアメリカ向けに書かされた20本の報告書のうち米国議会図書館に保管されているのは3本のみとのこと)。戦後も嘱託たちが、弟子達に博士論文授与、学術会議、予防衛生研究所初代・二代所長(その名前を冠した医学賞もあるという)など「活躍」したことは興味深く、コロナ対策まで尾を引いていることが理解できる。なお未発見の証拠として石井が制作させた「映画」があるらしく、ここでも紹介した劇映画はそれが前提になっていたことを知る。ただハッタリ屋的な石井の個性を強調しすぎの感あり。また著者以外の研究に全く触れられず(西山勝夫の1本のみ)、あとがきで皮肉る、事実と評価が入り交じる文章の読みづらさは残念。大家とはいえ編集者はもう少ししっかりすべきではなかったか。

https://www.koubunken.co.jp/book/b597767.html

滋賀県立安土城考古博物館「戦国時代の近江・京都ー六角氏だってすごかったー」

GWは姫路が休館で休日休みになったため、ここまではカレンダー通り。3~5日で来週の研究会のレジュメにめどをつけたので(史料を並べただけだが)、本日は表題の展覧会を観覧。たくさんの中世文書をみることができ眼福、制札の1cmぐらいの横面に端裏的なものが記されているのも興味深い。今堀日吉は案文が多かったが、全体の割合はどのようなものなのだろうか?文字に違和感はなかったが、戦国の奉行人奉書の案文はどういうタイミングでつくっているのか気になるところ。なお展示全体のコンセプトは出品リストにあるように政治史を描くということのようなのだが、将軍・細川・三好関連よりも六角の発給文書にこだわったほうがよかったように思えた。なおせっかくだから安土城・桑実寺も廻り、いずれもそれなりの人出。暑かったが安土駅周辺でアイスは買えず。また行きの新快速草津止まりはすぐに各停と連絡していたが、帰路は各停が30分に一本でしかも京都まで先行。加古川以西とおなじくJRからは切り捨てられつつあるようだ。

令和4年度春季特別展 開館30周年記念「戦国時代の近江・京都―六角氏だってすごかった!!―」 | 滋賀県立安土城考古博物館 

安土城大手道石敷の石仏(コンセプトはわかるが、すぐに摩耗してしまうように思える)

桑実寺参道。安土城だけみるとすごく見えるが、石積みは同様。研究者には当たり前だが、観音寺城安土城の両方を注目させる仕掛けが必要。

 

尼崎市立博物館「ーまだまだ謎だらけーここまでわかった富松城ー」

映画がJR尼崎駅南だったので、そのまま自転車で南へ下り観覧。富松城に関わるいくつかの文献史料と近世絵図・近代地誌・発掘調査成果、あわせて保存運動の軌跡が紹介。中世文書の現物は県史中世一に寺岡文書として掲載されている二点(現在は寄託されているらしい)ほか。とりわけ一点は「浦浜境目」の裁定文書(四至を記した支証があったらしい)というのも興味深い。近世絵図は隣村に立地する我が家が微妙に外れていた。中世常設展も行く度に展示替えがあり、今回の現物は近衛信尹配流に関わり尼崎に日向細嶋までの船を用意するようにとの秀次朱印状。

「-まだまだ謎だらけ-ここまでわかった富松城」展 | 開催一覧 | 展示 | 尼崎市立歴史博物館

「わが青春つきるともー伊藤千代子の生涯ー」

近所の公民館で上映会があったので観覧。主催者が当初用意した椅子以上の観客が集まり盛況だったが、LINEなどの着信音がしばしば・・・。低予算映画なのでどうかと思っていたが、それなりのロケ地が選定されており(刑務所は松本市歴史の里に少年刑務所独居舎房が使用できたらしい)、石丸謙二郎ふんするたたき上げの特高も「ちゃんと」拷問していた。配付されていた原作者のインタビューによると、「ついていけない」というスタッフと「こういう社会的な映画を一生のうち一度でもいいから撮ってみたい」とう人があり、半分ぐらい変わったとのことだが、主張はまっすぐで女性キラキラ活動家像も斬新。主演女優はあきらめかけていたオーディション40人目に「拷問の場面での目つき」が本人に似ていたとの理由で決定したとあるが(残された1枚だけの写真はスナップだが)、革命的楽観主義な雰囲気がすぐれたオルグだったらしい千代子のたたずまいを伝えてくれる気がした。もう少し獄中のやつれがあってもよい気がしたが、今後のご活躍を祈念する次第。

「劇映画 伊藤千代子の生涯」制作を支援する会ホームページ

鮫島吉廣・高峯和則『焼酎の科学』

本日は枚方3コマ。帰りの雨を覚悟しながら自転車で駅まで向かったが、ちょうど止んでいるタイミングで帰宅。ここ一ヶ月、ろくでもないことが続いているが、久しぶりの幸運。電車読書はほぼ毎日二合はお世話になっているため(昨年は5日ほど日本酒、1日コロナワクチンでダウン)、衝動買いしていたもの。文献上はザビエル書簡が最古で、当初のコメから近世後期にサツマイモ原料に。1909年に清酒と同じ黄麹から泡盛に利用されていた黒麹に代わり現在に至る製造法が完成、1978年に油臭の原因が不飽和脂肪酸エチルエステルの酸化であることが解明され、それを濾過することで溶解効果をもつ湯割りだけでなくロックなどの飲み方が可能になったという。麹がクエン酸を作り出すことによって、高温地帯での醸造でも雑菌の繁殖を防ぐことができたというが、もともとどこで成立した製法なのかは気になるところ。なお鮫島氏は京大農学部卒業後、ニッカ勤務を経て、薩摩酒造常務取締役研究所長兼製造部長から、鹿児島大学農学部附属焼酎・発酵学教育研究センター教授に、高峯氏は鹿児島大学農学部卒、鹿児島県工業技術センター・熊本大学大学院博士課程などを経て鮫島氏の後任になったそうで、こういうキャリアもあるのだと感心。

『焼酎の科学 発酵、蒸留に秘められた日本人の知恵と技』(鮫島 吉廣,髙峯 和則):ブルーバックス|講談社BOOK倶楽部