引き続き電車読書の備忘。石井四郎軍医が陸軍軍医として防疫研究室創設をはたらきかける1930年から、1936年に平房に本格的施設を建設し、内地医学部ボスを嘱託とし、その弟子達を研究者として迎え入れ、ノミ・シラミなどの育成(人体実験に直接関与)する雇員までのビックサイエンスを作り出すも(上位になるほど直接「手」はくだしていない)、42年の細菌攻撃の失敗(日本兵が大量にコレラに罹患)、敗戦と米軍・ソ連軍の追求、戦後の血液製剤・BCGの功罪までを述べたもの(731と呼称されたのは1941年前後だけとのこと)。43年に人体解剖した病理標本を大量に持ち帰り論文を発表していたことで、アメリカに押収される羽目になったのは笑えるところ(ただアメリカ向けに書かされた20本の報告書のうち米国議会図書館に保管されているのは3本のみとのこと)。戦後も嘱託たちが、弟子達に博士論文授与、学術会議、予防衛生研究所初代・二代所長(その名前を冠した医学賞もあるという)など「活躍」したことは興味深く、コロナ対策まで尾を引いていることが理解できる。なお未発見の証拠として石井が制作させた「映画」があるらしく、ここでも紹介した劇映画はそれが前提になっていたことを知る。ただハッタリ屋的な石井の個性を強調しすぎの感あり。また著者以外の研究に全く触れられず(西山勝夫の1本のみ)、あとがきで皮肉る、事実と評価が入り交じる文章の読みづらさは残念。大家とはいえ編集者はもう少ししっかりすべきではなかったか。