wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中井淳史『中世かわらけ物語』

本日は紀要校正返却のため姫路出勤。ただ木曜日の引っ越し(改修工事のため仮事務室=もとの学芸員研究室=に一時的に移動)の荷造りでバタバタ。朝年休を取ったこともあり電車読書はすすみ、研究班としてご一緒させていただいている著者の表題書を読了。80年代に関東の文献・考古学者の間で都市性・大量消費・呪術・使い捨てなどをキーワードに盛り上がった「かわらけ」論についての現時点での評価を下したもの。そもそも中世に平泉・鎌倉など特定の地域で唐突に出現する東国と異なり、弥生時代以来の手ぐすね技法が継続する京都では土師皿などの呼称が一般的として、京都における形式変遷・技法を紹介。その上で土器座・長宗我部地検帳から工人の存在形態を検討し、専業化することなくきわめて分散的に存在していたことを確認。出土状況と文献から用途と機能の多様性を紹介。手ぐすねという京都の技法をもつものを「京風」かわらけとして(京都系土師器などともいう)、その全国における出土状況をみてある種の「流行」とはいえても「みようみまね」の生産で次第に在地型へと変化すると評価。かつての特別視する見解には否定的で、むしろ曖昧な模倣を可能にした点にその特徴を見いだしている。技法など細かい点もわかりやすく説明されており勉強になる。多くの考古学者が早くから特定の現場でもまれるのに対して、著者は大学院博士課程を出て本書の前提となる大著を刊行された時もパーマネントの研究職ではなかったという経歴。それが逆に徹底的に文献をあらうことを可能にし(長宗我部地検帳から土器関係をピックアップするというのもかなり手間がかかる作業)、それを前提とした上で全国を俯瞰しながら説得的な論を展開しているのが特徴で頭が下がる思い。そもそも関東の学際研究は共依存的で、当方としては文献は文献で、考古は考古でちゃんと違いを認識して仕事ができるのがありがたいところ。

中世かわらけ物語 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社

須田努『幕末社会』

本日は振替姫路。届を出してから紀要を受け渡しがズレたのだが、再度申請するのもややこしいのでそのまま出勤。ただ来週改修工事のため引っ越しがあり、業務関係の荷造りは共同でできた。ダイヤ改編前の朝の新快速(今週末からの改変で30分遅く寝られる便がなくなり、10分早い山電のほうが座れるだけましになる)で、電車読書の読みさしを片付ける。ポイント切れが近づいていたため現物をみることなくネット書店で購入していたもの。政治史の叙述は最低限に抑えられ、政治理念としての仁政と武威が、身分制社会の既得権益化が若者にとって希望の見えない格差社会となって無宿渡世が増加し、関東の錯綜した所領配置がそれを取り締まることができず、対外的危機とともに次第に秩序が崩壊する過程を描いたもの。博徒尊皇攘夷・剣術・蘭学・平田派国学などさまざまな社会的ネットワークが、そうした亀裂を大きくしていく動きは興味深く、タイトルだけ見ていた諸研究のエッセンスがようやく理解できた。ただ関東の治安悪化と畿内との相違が強調され、畿内では国訴のような下からの積み上げのイメージが強いが、若者のおかれた位置も異なっていたのかは気になるところ。なお本文中にカッコで史料名が記され、巻末にはその出典が並べられている。番号は付されていないがほぼ註に匹敵するもので、岩波新書としては異例か。幕末社会 - 岩波書店 

姫路で蔵書を確認していた図書館が来週半ばまで休館することに気づく。自治体史の締切が近づいているなか大変痛い。引っ越し前は自転車で大学図書館に行けたのだが・・・。

 

美川圭・佐古愛己・辻浩和『摂関政治から院政へ』

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「京都民報」2022年1月30日号

少し前になるが、新聞の紹介記事をあげておく。なおこのシリーズは他の巻のいくつかもご著者からいただいており、厚く御礼申し上げます。

内容についてはいろいろ勉強させていただくことが多くここでとやかくいうことはないのだが、紹介の最後に触れた点だけ補足。シリーズは『京都の中世史』と題するが、中世都市京都を舞台にした政治史・文化史で、都市史については考古学から出発した研究者に丸投げするという方針らしい。ただ都市住民と都市支配について文献史学からの論述がないのはやはり問題だと思う。第1巻でいうと京職・検非違使は全く出てこないし、都市を強調する第4巻でも侍所の京都支配の実態は語られず、第5巻になってようやく町共同体・非人が出てくる程度。「都市依存型」などといいながら実態をなおざりにしているから、今度の『日本史研究』のように本末転倒な議論が登場する体たらく。確かに先行研究は著しく乏しいが、いわゆる京都学ならまだしも、どうしてそれ抜きに京都が語れると思うのだろうか。

兵庫県立考古博物館「ひょうごの遺跡2022ー調査研究速報ー」

本日は勤務先の研究会に出勤、ついでに表題の展覧会に立ち寄ったのでその備忘。埋文恒例の調査成果展だが、中世の鍛冶遺構が出土している丹波篠山市波賀町遺跡、中世の住居跡で15世紀の焼土がある洲本市宮ノ谷遺跡、和鋏・毛抜きなどが副葬された屋敷墓がある丹波篠山市多利・前田遺跡など興味深いものがあった。

冬季企画展「ひょうごの遺跡2022―調査研究速報―」 | 兵庫県立 考古博物館 

なお集合が遅かったためその前に姫路で野里鍋・三上参次の書(皇嗣生誕を言祝いだもの)などを観てきた。こちらは本日・明日限定。

machiyanohi.jp

松井和幸『鉄の日本史』

本日は紀要初校返却のため姫路出勤、最後までバタバタしたが何とか手を離れる。ただ印刷会社にもコロナ陽性による出社停止が出たようで、今後のスケジュールにも影響。二校・念校のため三月の勤務予定はぐちゃぐちゃに。東京へ史料調査に行けないため可能だが、なんだかなあという気分。そんななかで電車読書はタイトルにつられ衝動買いしていた表題書。製鉄のはじまりから八幡製鉄所の操業までの文字通りの通史、著者はお決まりの広島大考古で、県埋文を経て北九州の博物館勤務とのことで実現したもの。各章にはまとめがあって、製鉄の仕組みについてもアフリカの事例も紹介しながらわかりやすく説明されている。なお著者は近年少数派になったと思われる弥生後期製鉄開始論者、朝鮮半島での製鉄炉の未確認・輸入鉄素材の実態が不明とのことだが、著者がいう弥生後期の製鉄痕跡も単発的で以後に連続するようには思えない。なおこの問題は古墳時代の社会編制とも大きく関わる議論だが、当方にはこれ以上の見解はなく今週末に職場で研究会があるので尋ねてみたいところ。それと別に勉強になったのは中世小倉鋳物師の存在とともに、近世後期以降の展開で、たたら製鉄技術者・石見銀山関係者の諸藩への拡散と高炉の模索、さらにたたらの閉山と明治炭鉱への流入という現象があったことは興味深い

筑摩書房 鉄の日本史 ─邪馬台国から八幡製鐵所開所まで / 松井 和幸 著

われ弱ければー矢嶋楫子伝

本日は校正も片付いたということもあって(ただし編集者としては未到着分あり)、表題の映画を観覧(映画の日+交通費)。1833年に肥後の惣庄屋の六女として生まれ、横井小楠門弟に嫁ぎ三人の子の母となるも、夫の酒乱で1868年に末子のみを連れて離縁(映画では廃刀令で荒れたことになっているが時期的には合わず)。1872年に大参事兼左院議員の兄直方の看病のため上京(もとの「かつ」から「楫子」に改名)、家政を建て直し教員伝習所で学び芝桜川小学校の訓導に(娘を遊女に売った話しが出てきたが、長屋のあるような地域なのか)。兄宅の妻子持ちの書生との間で子を宿し妾になることを求められるも拒絶して出産し里子に預ける。どういうわけか米宣教師マリア・ツルーに乞われ居留地の女学校の教師になりキリスト教に入信(ウィキでも不明、映画には描かれていないがそれ以前に熊本バンド事件があり、離別した長子・徳富兄弟など姉の子どもたちがその中心だったらしい)。日本キリスト教婦人矯風会会頭・女子学院院長などとして活躍し、1925年に亡くなる晩年までを描いたもの。一ヶ所、ここでロケするのは無茶だろうというところがあったが(遊歩道の手すりが見える)、低予算映画としてはそれなりの映像はつくっていた。常盤貴子が演じるとどうしても彼女にしか見えなくなってしまうが、不勉強でこういう30代後半になってから新天地を切り開いた人生があったことを初めて知る。劇映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』

コロナに続きロシアの暴挙。一時は絶望的にも感じたが、「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」となる目も出てきたか。