wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

われ弱ければー矢嶋楫子伝

本日は校正も片付いたということもあって(ただし編集者としては未到着分あり)、表題の映画を観覧(映画の日+交通費)。1833年に肥後の惣庄屋の六女として生まれ、横井小楠門弟に嫁ぎ三人の子の母となるも、夫の酒乱で1868年に末子のみを連れて離縁(映画では廃刀令で荒れたことになっているが時期的には合わず)。1872年に大参事兼左院議員の兄直方の看病のため上京(もとの「かつ」から「楫子」に改名)、家政を建て直し教員伝習所で学び芝桜川小学校の訓導に(娘を遊女に売った話しが出てきたが、長屋のあるような地域なのか)。兄宅の妻子持ちの書生との間で子を宿し妾になることを求められるも拒絶して出産し里子に預ける。どういうわけか米宣教師マリア・ツルーに乞われ居留地の女学校の教師になりキリスト教に入信(ウィキでも不明、映画には描かれていないがそれ以前に熊本バンド事件があり、離別した長子・徳富兄弟など姉の子どもたちがその中心だったらしい)。日本キリスト教婦人矯風会会頭・女子学院院長などとして活躍し、1925年に亡くなる晩年までを描いたもの。一ヶ所、ここでロケするのは無茶だろうというところがあったが(遊歩道の手すりが見える)、低予算映画としてはそれなりの映像はつくっていた。常盤貴子が演じるとどうしても彼女にしか見えなくなってしまうが、不勉強でこういう30代後半になってから新天地を切り開いた人生があったことを初めて知る。劇映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』

コロナに続きロシアの暴挙。一時は絶望的にも感じたが、「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」となる目も出てきたか。