wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

富田武『シベリア抑留』

今朝は久しぶりに御堂筋線がわざと遅らせをかまし、かなりあせったが接続電車に何とか間に合う。どうも日曜夜から風邪をひいたようで三コマ連続はのどもきつかったが、とりあえず無事終える。本日の講義がちょうど戦後冷戦体制の成立と展開の部分だったこともあって、年末に衝動買いした電車読書の備忘http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/12/102411.html。著者はスターリン体制の研究者で、ソ連体制における囚人労働、ナチスドイツのソ連兵捕虜酷使、その復讐としてのソ連のドイツ兵捕虜酷使を並べて、その延長線上にソ連の日本人(植民地朝鮮人を含む)シベリア抑留について、ソ連各地の動向だけでなく、モンゴルに移送された捕虜、南樺太北朝鮮で抑留された日本人という全体像が描かれる。圧巻はソ連における矯正労働収容所・コロニーの収容者数・志望者数を1930年から53年まで並べた表で、1936年から年100万人を超え、1944年の118万人弱が、45年に146万人、46・47年に170万人代、48年から200万人を超えるというすさまじさで、まさに常態化した矯正労働の延長に抑留が位置づけられていたことがわかる。またソ・独・日で共通して捕虜になるより死を選べという教育がなされ、生還した捕虜に対しても非常に冷たい仕打ちが待っていた点で「全体主義」体制の非情さを浮き彫りにするもの。またソ連中央とそれぞれの省・機関など受け入れ先の方針の際や、抑留された日本人の対応も地域によってかなり異なっていた点も興味深く、新書とはいえどのような史料に拠っているのか(もしくは公開されていない史料はどういうものか)が説明されており、その点も理解しやすい。限られた分量でやや総花的にもみえるが全貌を理解する上で有益。なお講義では朝鮮戦争へとつながる点でソ連の対日参戦が結果的にもたらした戦後日本の対米従属とセットになった経済成長を強調したが、やはりこの問題も戦争犯罪としてはかなりのレベルであることが再認識できた。