wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

広井良典『ポスト資本主義ー科学・人間・社会の未来』

本日は古文書学の定期試験。講義で取り上げた文書から8点を取り上げ、7点は翻刻を求めたものだが、後半はバテバテの様子だった。講義では一行づつ当てているので、割と読めていたのだが、60分集中力を持続させるのは難しかったようだ。もっとも当方も午後は荒本で大学図書館に所蔵されていない史料集をめくっていたが、90分を過ぎるぐらいから睡魔でウダウダになってしまったのだが・・・。そんななかようやく読了したのが、何を思ったのが衝動買いしてしまった表題書http://iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431550。著者が多数の新書をすでに出していることすら全く知らなかったのだが、大変興味深いもの。現代を5万年前の「心のビックバン」、紀元前5世紀の「精神革命」に次ぐ、第3の定常化社会としての「地球倫理」の時代=ポスト資本主義と位置づけ、宇宙開発に代表されるような第4の成長=超資本主義路線を矛盾の拡大として批判する(当方も、テレビで若い日本人女性の天文学者が「宇宙はフロンティア」を力説していて、宇宙生命体は平気で虐殺するんだろうなあと感じた)。そのことを資本主義と科学思想の歴史的展開過程から説明し、 現代資本主義は生産性が上がれば上がるほど失業が増える過剰による貧困を作り出しており、労働生産性から環境効率性への転換(環境税)、「人生前半の社会保障」による機会の平等の保障(相続税・資産課税)による、資本主義の社会化が必要なこと。そこでは福祉・環境・文化・農業といったローカルな領域こそが重要で、世界をマクドナルド的に均質化していくような方向が「グローバル」なのではなく、むしろ地球上のそれぞれの地域のもつ個性や風土的・文化的多様性に一次的な関心を向けながら、そうした多様性が生成する構造そのものを理解し、その全体を俯瞰的に把握していくことが本来の「グローバル」であると主張される。著者自身も「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」に携わっているというこで、1000年後の地域社会を考えるという視点は中世史研究者とも親和的な発想。著者は法学部入学で転部して、伊東俊太郎門下で科学史・科学哲学を学び、現在は千葉大学政経学部で公共政策・科学哲学を専門としているということで、近年は宇宙論ですらただ一度のビックバンではなく無数の宇宙が存在しているという議論が紹介されるなど大変幅広い。地方国立大学の人文社会系科目すら潰そうとしている現代日本において、対抗基軸として理論的橋頭堡となりうる書物だと思う。