wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

村井良介『戦国大名論』

本日は某研究会に誘われ、東播磨・西摂津についていろいろお勉強。土地勘のないものとして、地形環境に関する議論についていくのはしんどかったが、いろいろ得るところは多かった。その後の飲み会もためになったが、日本酒を飲みすぎ酔っ払い出費も予想以上に。そんな頭でするのもどうかと思いながら電車読書の備忘。専門書『戦国大名権力構造の研究』の著者が講談社メチエというより広い層向きに書き下ろしたものhttp://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062586108。旧来の荘園所職の集積ではない新たな領域支配を事実上達成した戦国領主が広範に成立したことを前提に、彼らを編成した存在を戦国大名と規定し、両者の関係は後者が前者を家中に取り込んで近世大名化する過渡期的段階ではなく、むしろ戦国大名は軍役賦課のため戦国領主の安定を求めていた独自の段階とみなした上で、そうした権力の本質を暴力の理論的考察を援用して解き明かそうとしたもの。すでに某政治学者など、前著なら及ばなかったであろう読者層の評価を得ており、当方がとやかく言うことはないのだが、若干の感想を。①一般読者向けとしてはかなりわかりにくい。序章から研究史がしかも時代順ではなく登場しており、もう少し工夫が必要ではなかったか。②戦国大名論というタイトルを付し(著者の意図によるものかは別として)、なおかつ序章で教科書によって戦国大名と呼ばれる範囲が異なっているという指摘をしているにもかかわらず、基本的に毛利・後北条の事例から本質論へと展開し、一方の教科書では取り上げられない南部・秋田などが戦国大名に当たるのかどうかに解が示されていない。③著者は中世の延長線上に権力を捉える戦国期守護論、近世権力の萌芽としての「自力の村」論と「豊臣平和令」説の何れをも批判し、それはそれでわかるのだが、暴力の本質論に踏み込んでいくだけでは批判にしかならないのではないか。④これらの点を解消するために著者に望みたいのは、暴力の発動形態のゲーム理論・ゆらぎ論的視点から、少なくとも中国地方レベルの通史叙述(もちろん最終的には全国)をすすめてもらいたい。⑤ここ20年来『信長の野望』の洗礼をうけた研究者によって、この分野の研究が限りなく精緻化(タコ壺化)したことへの著者の批判的態度は首肯できるが、このままではそれらの研究者を納得させるものにはならないのではないかと危惧する。やはり歴史学者には学問内在的な理論をもとめたいところ。