wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

秋田茂・桃木至朗『グローバルヒストリーと戦争』

本日は久しぶりに京都に出かけお勉強。抜刷のやり取りだけで初対面の方から、旧知の方までいろいろ交えて勉強させていただく機会になった。電車読書のほうは後期講義向けで発行日は本年4月15日。早くに見かけたものの6月末の学会で高校非常勤時代の教え子から購入するつもりでいたところ、どういう事情か発行出版社のブースが出ておらず、結局書店で定価で購入する羽目になったhttp://www.osaka-up.or.jp/books/ISBN978-4-87259-437-9.html。内容そのものは興味深く、独立インドにインド準備銀行ロンドン残高という債権が寄与したこと、ロックフェラー財団の諸人脈とICU教員、第一次大戦時のアメリカ合衆国の諸政策、ベトナム山岳地帯独特の火器の製造・流通構造、幕末のロシア船大坂来航とクリミア戦争との関係、近世スウェーデンの財政軍事国家的性格、ポルトガルにとっての種子島の位置、抗元戦争後の大越、モンゴル帝国と日本、白村江の戦いの東アジア的意味などいろいろと興味深い論点が描かれており、そもそも共通教育の成果ということもあって当方の講義のためにもいろいろ役に立つところが多い。ただ最初におかれた中国政治が専門らしい法学研究科教授による「戦後七〇年と二一世紀の東アジア」なる論考はかなり疑問。まず70年代以後の大陸中国中共と略)のグローバル大国化と「歴史」の語りが説明され、1995年の村山談話とそれをめぐる朝日・産経論説および中共人民日報・台湾中央日報社説が並行した対立軸として示され、21世紀日中戦争史研究と中共見解のずれが強調。次いで戦後70年談話と朝日・産経社論が同じくニュートラルに示され、それに対置して中共の見解が紹介。最後に、論点として「戦争の語り」と近代日本の植民地責任の問題、東アジアに通用する「戦争の語り」と歴史認識を志向するための政府・メディア・アカデミズムの役割が示される。実際の講義がどう展開されたかは不明だが、受け取る側は明らかに中共がもっとも悪いとしか思わないだろうし、産経の歴史戦も肯定的に思われるだろう。法学部独特の価値判断を排除した叙述だが、それを歴史認識に当てはめた場合には、過去の「事実」は全く考慮されなくなり、「認識」をめぐるゲームになってしまうというのは他でも見た気がする。こういうのがあると「グローバルストーリー」を胡散臭く見る向きが出てくるのもわからないではない。とりあえず火曜日までは休み。何とか試験の採点だけは終えてしまいたいのだが…。