wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

小川さやか『「その日暮らし」の人類学』

本日も姫路。相変わらず早起きに緊張が解けないまま熟睡できず、通勤電車で仮眠、なれないデスクワークで午後は睡魔と戦いながらへろへろに、帰りの電車で爆睡して夜になってようやく元気になり元の木阿弥に…。そういう中で電車読書のほうは、当方とは全く正反対の生活を営む人々を描いた文化人類学者による一般書http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334039325タンザニアの都市古着商人の世界へ飛び込んだ著作で一躍有名になった著者が、かれらの生活スタイルをLiving for Todayとしてアマゾン奥地のビタハンの生活を究極と見なして一般化しつつ、フィールドワークの幅を広げながら資本主義経済のインフォーマル経済の特質を描き出したもの。そこでは特定の仕事に就くことを目的化するのではなく、夫婦間のバランスを含めた時々の状況に応じてフレキシブルに仕事を変えることで最低限の生活を維持していく、著者の助手を務めるタンザニア人夫婦の「仕事は仕事」というゼネラリスト的な生き方。儲かると思える仕事に殺到する一方で、独占化することなくそのノウハウは後続に提供するという「試しにやってみる」という精神。香港を経由した中国製の粗悪品を対面取引によって購入することで、「騙される」コストを最小限にする下からのグローバル資本主義。長く使うかわからない衝動買い的な消費が支えるコピー商品/偽物商品の流通と、「顔が見える」関係だから「許される範囲」の騙しと、中国人商人のアフリカ進出で生じたそうでないものの区別。携帯による送金システムの普及によっても相変わらず顔の見える関係で続く<借り>を回す仕組みなど、資本主義的新自由主義経済が貫徹している一方で、顔の見える互助関係を手放さないというインフォーマル経済の特質と、それによってもたらされる自律性・「その日を生きていくこと」への肯定感が興味深く示されている。またもやアトム化された個人によるひどい事件が起きた社会に暮らす一人として、確かに「生きやすい」社会のように見えるのは実感。その日暮らしとはいえないが一年単位の非正規で長年過ごし周りの方々の手助けで生き延びている当方も、いつも「なるようにしかならない」と公言しており、かれらと状況が大きく変わるわけではない。その一方で心底落ち着いていないのも現実で、ここ数年は精神も安定しているとはいえず、その辺りは微妙なところ。