引き続き電車読書の備忘。朝鮮王朝の成立期から3.1独立運動までを対象とした民衆の存在形態・意識などを主に取りあげたもの。儒教的民本主義の実際、両班の存在形態、小農社会とはいえ近世日本とは比べものにならないほどの流動性、生活世界における巫俗信仰の重要性、周縁的存在としての白丁・褓負商・妓生、女性の位置づけ、民衆反乱における異端の東学、一君万民幻想が高宗の死によって祝祭的に広がった三・一運動が位置づけられ、儒教的政治文化が士意識を民衆にまで拡散したことでうまれた強固な主権意識に基づく運動をもたらす一方で、誰もが両班になりたがる過度の競争的な上昇志向という現代韓国社会につながっているという。ただ著者自身があとがきで述べているように、余りにも本質主義的な議論にもみえる。まあそうなると、政治に対する客分意識と、成功しなかったのは努力が足りなかったのだという通俗道徳まみれの日本社会は、絶望的ということでもあるが・・・。
当方も本年度でいろいろなことが終わり、来年度は金にならない重たい仕事だけがのしかかるもよう。あてのない明るい日差しを待つという、植民地時代的な絶望感・・・。