昨日、とある所縁で実行委員をつとめることになってしまっている某研究会の企画で観覧。1805年に城崎の温泉旅館で生まれ、耳を患いながら画業にうちこみ、維新後に東京で亡くなった文人画家の展覧会。昨年3月まで縁があったので、意外な方によるエピソード紹介の四コマ漫画も興味深い。畸庵は京都の文人画家に学んだ後は、兵庫県内では兵庫・洲本・明石・姫路、遠くは日田・長崎に滞在した後に、城崎を拠点に但馬・丹後の寺院に障壁画を描き、息子は東京師範学校にいっている。頼山陽の時にも思ったが、こういう市井の「文化人」が専業で生活できるという環境は、いつごろはじまり、いつまで存続するのか(日展などの組織、近代的なアカデミズムが成立すると構造は大きく変わると想定される)、世界史的にはどのように位置づけられるのか(少し毛色は違うが、イブン・バトゥータのようなイスラーム法官も同様か)、誰かちゃんと示してほしいところ。