wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

田渕句美子『百人一首』

本日は城郭の史跡指定のための調査委員会の会議で、美作国境の町へお出かけ。帰りは前日から山城の縄張り図を作成されていた方の車に同乗させてもらったが、行きは公共交通2時間半の道のり。ちょうどタイミングよく目的の駅に着く直前で読了した電車読書の備忘。和歌文学研究のトップランナーだけあって、百人一首の編者とされていた藤原定家のものでないことおよびその特徴を、その原型らしい定家が宇都宮蓮生に与えた百人秀歌と比較しながら論証していく過程は、あとがきで「ミステリ」と自認するだけの鮮やかさ。明月記の理解も含めて大変勉強になった。定家にとってはあくまで相手に即したアンソロジーであるとし、その順序を改変することで別の意味を持たせたものとして百人一首を評価。その一方で小川剛生氏が提起したという頓阿説については、為家説のように明確に否定することはないが慎重な姿勢を採った上で、宗祇こそが普及にとって重要だったと位置づけ。その上で近世以降の広がり、百人一首という形式の意味などが論じられる。当方、昨年刊行の自治体史の解説で、「『新古今和歌集』・百人一首の編者としても知られ」と藤原定家を紹介しており、ひどい誤りだったことになる。すでに異論があったことは確認していたはずで、もう少し慎重に記すべきだったと猛省。

百人一首 - 岩波書店