wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

越前紀行その3(三国)

7日は6時すぎに起床、ホテル朝食でがっちり食べて7:49の路面電車福井鉄道)に乗る。途中で通常電車(えちぜん鉄道)に乗り換え。途中から乗客はアジア系の若い女性たちだけになり、それも下車(どういう職種なのだろうか、たこ部屋よりはましなのだろう)。三国神社前で下車して、降りしきる雨の中を踏査。結局丸一日止まず6日の資料類はびしょ濡れになってしまった。現地の地形が予想以上に複雑だったが、町の全体像は何とか理解できた。圧巻だったのが石造物で有力商人森田家(近代の森田銀行)の墓所のある性海寺には、笏谷石の五輪塔・宝篋印塔だらけ。一乗谷もそうだったが加工しやすいためか造形も豊かで、文字陰刻が多数あり年号も読み取れる。一乗谷で住民の葬送年のグラフが有名だが、他の地域では無理な研究。そして瀧谷寺。参道から本堂までには塔頭跡と思われる平坦地が続き、開山は南北朝に根来の学頭のようだが、平安仏・仏画なども所蔵。開山堂は元亀2年の石造物で周囲には多数の石塔が並ぶ。また天文に三国来航した中国僧が将来したという鏡などもある。三国神社と別に町場があったようで、地形にも規定されて複数の核を有する都市だった模様。

瀧谷寺開山堂