wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

池田嘉郎『ロシア革命』

本日は姫路で、明日の準備やら何やら。相変わらず通勤はほぼ爆睡なのだが、少しは電車読書も進み表題書を読了。来年度も引き続き担当する講義科目の関係で、衝動買いしてしまったものhttps://www.iwanami.co.jp/book/b279044.html第一次大戦期のロシアを、皇帝専制のもと、1905年の第一次革命で実現したドゥーマという不完全な議会が存在し、西欧自由主義的思考を有するエリート層(「公衆」)が活動する一方で、その外部に専制政府の弾圧を受け議会とも距離を置く多様な社会主義政党が存在し、教育水準の低い「民衆」は抜本的な「解放願望」を抱いていた。それが総力戦的な動員がなされた大戦で兵士の反乱が続発し、労働者・兵士代表ソヴィエトが樹立される一方で、皇帝を退位させた「公衆」たちは臨時政府を樹立するという二月革命となる。古典的な革命史では前者による後者の克服・打倒が描かれるが、本書は臨時政府側の立場から「公衆」による自由主義的方向が挫折し、民衆的な「平準」願望をとりこんだボリシェヴィキによる十月革命までの過程が叙述される。厭戦気分の強い民衆を動員しながら戦争を継続しつつ新体制を構築するというのはもともと無理があり、ボリシェヴィキへの評価が余りにも低く、どうして十月革命が実現できたのかがみえにくいが、ロシア史のなかから革命過程を描くという方法は一つのあり方なのだとは思う。その一方で本書の叙述スタイルには強い違和感を覚える。戦争継続は正しいとする一方で、兵士・民衆の暴力は恐ろしく否定的に描かれる。「いじめた」「混ぜっ返した」「あっけにとられた」「ひとのよい」「書きまくって」「おひとよし」「臆病者」…など、およそ学問的とは思えない俗語のオンパレードで、小説、ひいき目に見ても史論で、歴史学者の使う用語とは到底思えない。一般向けだからこんなものだと思ったのかも知れないが、編集者がこれで納得したというのも理解できないし、著者が東京大学人文社会系研究科准教授だというのも驚く。1971年生まれらしいが、日本社会だけでなく日本の歴史学の将来も暗澹たるもの…。