wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

龍谷ミュージアム「聖護院門跡の名宝」・西念寺・京都市歴史資料館「賀茂別雷神社の古文書」

三月に勘違いで阪急の時差回数券を買ってしまっていたこともあって(370円区間がまだ4回も残っている)、京都観光に出かける。まず阪急大宮から徒歩で龍谷ミュージアムhttp://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html。HPで出品目録を確認していた鎌倉期成立という「四天王寺別当次第」の実物をはじめてみて、形式などを確認することができた。その他に役行者像など修験関係の仏像・絵画などの優品が並んでいたが、なかでも目を引いたのが峯定寺(山国荘大悲山寺)に伝来する梵鐘。永仁四年に阿波国以西郡八万金剛光寺(日本歴史地名大系では長宗我部元親の侵攻で廃寺になったという)のために鋳造され、寛正六年二月十六日に河内国茨田郡大庭庄広隆寺が買得し、文正元年六月十八日に大悲山寺が買得したと銘文に記される。流転の経緯、とりわけ広隆寺(近世まで存続)がどうして一年ちょっとで転売してしまったのかが気になるところ。なお高さは1mほどでさほど大ぶりのものではない。入りはそこそこあり、帰りがけに学生を引率した中世史研究者をお見かけした。続いて徒歩で五条河原町西念寺に向かい、春期京都非公開文化財特別公開http://www.kobunka.com/topics/pdf/hikoukai_h27spring.pdfの鎌倉の慶派による阿弥陀如来像、現存二番目に古いという涅槃図を観覧する。涅槃図というと象を初めとした動物描写に着目してしまっていたが、初期のものはそれほど目立って描かれないというのは説明で初めて知った。下に西念寺の写真も上げておいた。大戦末期の建物疎開による五条通拡張のため同寺は戦後の再建、前に菅原道真の賛があると説明された(?)神像をまつる千喜万悦天満宮が建つ。続いてバスで荒神口までのぼり、京都市歴史資料館へhttp://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000181406.html賀茂別雷神社文書のうち巻子装25巻のうち12巻分が前後期にわたって展示されており、4月27日から5月27日までが後期。鎌倉幕府関連の文書がずらり並ぶのも圧巻だったが(若狭国矢代浦相論を裁許した嘉禎三年九月十五日の六波羅御教書には端裏があるように見えたが、翻刻には記載がなかった)、永禄・天正期の貴布禰山に関する山請関係文書も興味深いもの。なお文書写真16点が掲載された展示品解説のリーフレットを無償で手に入れることができる。少し時間があったので2Fで同文書の修復前に撮影された写真の13箱目を三年ぶりに繰ったがそちらは特に成果はなし。戦国期の社領に関する文書や三好など武家の発給文書が大量にあり、出してもらった14・15箱もそれが続いている。また何れかの機会ということにしよう。
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