wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

大阪歴史博物館「大坂ー考古学が語る近世都市ー」

昨日の講義終了後に研究会まで時間があったため観覧(当館は金曜日20:00閉館)http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2015/osakaten.html。第一章大坂城前夜ー中世の大阪ー、第二章豊臣秀吉の大坂建設、第三章大坂の陣と徳川の大坂、第四章大坂の富ーなにわの「ええもん」尽くし、第五章大坂の暮らしーモノでみる生活、第六章大坂のモノづくり、というように、時代に沿って、またテーマ別に、大阪文化財研究所が行った発掘調査による遺物類が大部分の展示品が並べられている(文書は数点)。渡辺津の「東大寺大佛殿」瓦の実物は初めてみることができ、中近世を通じた土器類の変化がよくわかり、近世の精巧なミニチュア雑器(富士山、動物、そろばんなど多種多様)は圧巻で、よくこのようものが出土したものだと感心させられる。その一方で当方がもっとも引き寄せられたのは、篠山市教育委員会蔵(近世青山家)の「大坂並周辺村落図」という2m四方を越える地図。東を上にして中央に大坂三郷が正確に描かれかれているのだが(堀江新地は空白で未成立)、東側は生駒山地まで、北西は桜塚あたりまで描かれ(北東は確認できず)、無理をして押し込めた様子がありありのもの。ため池や中河内の細かい水系が詳しく、南側は堺など新大和川南岸までなので大和川付け替えと何らかの関わりがあるものだと思われる(なお平野のみ周囲を環濠が囲んでいる、久宝寺にはない、村に領主別の区分はされていない)。また朱線で道が描かれており当時の交通路が分かる点も重要(ただし無理に押し込めたため村相互の位置関係は現実と異なる)。文字注記も興味深く、大坂三郷の北側も南側も「摂津国欠郡」・「摂津国闕郡」と表現、猪名川は「池田川」と記され、堺沖に「判官淵」という名の島が描かれている。20分ぐらい眺めていたのだが、遠目では限界があり、情報を汲み尽くすことは到底できなかった。どこかでデジタル画像が手に入らないものか。本日また状況は悪化。見通しはますます暗くなる。