wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

水本邦彦『村ー百姓たちの近世』

本日は組合総会。飲み会もあったのだが、相変わらず花粉症が酷くバスして帰宅。そういうわけで読みさしになっていた表題書を読了http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1502/sin_k810.html岩波新書の日本近世シリーズの一冊だが(中世史も来年ぐらいに出るのだろうか・・・)、全部が通史だった古代史・近現代史と異なり、社会集団としての村を扱ったもの(もう一冊『都市』もあるようだ)。ふり返ると概説書に社会集団を取り入れた小学館版にも村はなく(その頃の近世史研究そのものが村落史中心だったためか)、あるいは教養書としては初めての企画か(参考文献には同種の書物はあげられていなかった)。まず一章「村の景観」で絵図を用いて視覚的にを説明し、福田アジオ三重構造図の外に国家(領主)を入れ近世の枠組みとする。第二章「村の成立」では、中世後期地侍層の公儀領主化と自己否定として近世村をとらえる。第三章「百姓と領主」では、戦国の「自助型自力」から公儀領主の「政道」に依存しつつ、生産や生活秩序は自ら決定する「身分型自力」=「依存とせめぎあい」ととらえ、余力を生業に投入したと評価。第四章「暮らしと生業」では農業村落を中心とした草肥農業を基調とした実態と、近世前半の複合大家族から後半の直径のみもしくは奉公人を抱えたモデルへの変化ととらえる。第五章「開発と災害」では、前期の新田開発の進展とその飽和、後期の外部から購入した金肥の利用と経済格差の拡大を述べ、災害対応にも言及される。草肥農業と山林伐採・洪水などといった現象を17世紀固有のものとみる議論にはやはり違和感があるが(起点は村が「成立」する14世紀と考えるべき)、一般向けに「新鮮な異文化の社会」(あとがき)として村を説明する試みとしては成功しているように思えた。なお巻末の参考文献はこの種の本としては多く(なぜか朝尾直弘氏は見当たらない)、二章のなかに事例そのものとしては必要ない2006年に逝去された故西村幸信氏の大阪歴史学会大会報告が引用されていた。時の流れの速さを感じる一方で、こうして研究史として生きていることを喜ばしく思う。花粉症・カゼに続いて、先週の「自爆テロ」メールに完全に心を折られてしまった。3月ももう終わるというのに情けない限り・・・。