wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

倉地克直『江戸の災害史』

本日は西宮で仕事の打ち合わせ。普通の方には特に珍しくもないのだろうが、長年にわたる怠惰な身として七日連続で外仕事というのはかなり疲れる。そんな中で電車読書だけは少しばかり進み、表題書を読了http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/05/102376.html。著者は前も紹介したとおり学部時代の恩師の一人だが、そういう理由よりも最近の問題関心から購入したもの。慶長期から幕末までの主要な自然災害が網羅されており、やや羅列的なところもあるのだが、領主支配・身分団体・家に守られた「いのち」のあり方、仁政イデオロギーの成立と領主支配を横断する「公儀」の役割といった、近世社会の仕組みが固まっていきながら、人口が拡大した成長期の17世紀。人口が停滞する一方で「公共」機能が多様化し、「公儀」を中心とした「いのち」を守る徳川システムが「満面開花」した18世紀。そのなかで打ち壊しなどの実力行使によって救恤を引き出す「慣行」の成立の一方で、地域間利害の対立など矛盾がうまれ、対外関係の変容で「公儀」が「海防」負担を抱え疲弊を強めた地域と改革を進めた諸藩、通俗道徳を身につけ「地域の治者」としての自覚をもつ中間層と「自力」が乏しく「世直り」願望を強めた下層民など、さまなな矛盾が顕在化した19世紀というように、通史としても読めるようになっている。それでいて個別の目配りもきいていて、主要災害の対応が図表化されているのも興味深い。このところ一般教養で近世大坂の地震について取り上げているが、宝永地震をまとめた表は全壊戸数の少なさに比して、津波死者が非常に多くいことが一目瞭然で、庶民層の津波認識の低さがよくわかり、当方にとっては実用的でもあった。そういえば帰りに西宮神社に寄ったのだが、あんなに大きいとは知らず、また室町期と考えられる日本最古とされる築地塀についても初めて知った。相変わらずの不勉強が露呈したが、とりあえず写真をあげておく。
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