wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

京都文化博物館「京を描く」

先日あったクローズドの研究会で招待券をいただき、別の方から前期・後期一度ずつは観るべきだといわれため(実はチケット屋で一枚は購入済だった)、今週で終わる前期展示に出かけてきた。事前に聞いていたガラガラというほどではなく一ヶ所で全く動かないというわけにはいかなかったが、11:00から13:00までそれなりに熟覧することができた。HPに出品目録がないため少しなめていたが、初期洛中洛外図屏風とその周辺は恐らくほぼ全てが前後期で展示されるという(上杉本のみ複製)大規模な企画。今回原本を観たのが洛外名所図屏風・東山名所図屏風・東博模本・歴博乙本・狩野元信の月次風俗図屏風と図帖・釈迦堂春景図屏風で、四条橋・五条橋・渡月橋などそれぞれのモティーフの一致点と相違が非常によく分かる。祇園社の南側の牛耕場面・四条橋北側の鴨川での網漁・町屋の一角にある馬の水飲み場など初めて気づいたところがいくつもあった。またそれ以前の参詣曼荼羅祇園社大政所図屏風なども出ており、神仏習合の講義スライドとして使っている北野宮曼荼羅図にかなりの人数が描かれているのも全く意識していなかった。また醍醐花見図屏風・舟木本になると人の姿・形が全く変わっており、中近世の断絶の大きさをやはり感じざるを得ないところ。もし永徳作の信長・秀吉期の作品が残っていたら、上杉本からどのように変化したのか分かったかもしれないが・・・。また近世も充実しており、町屋の二階建て化・瓦屋根化の進展が非常によく分かる。また歴博D本という全ての町屋の暖簾に屋号が書き込まれているという独特の作品もあった。また全ての作品において山にほとんど樹木が描かれておらず、緑の草山だけではなく、茶色の山や岩盤がみえるものもあり、展示の最後にあった大正期の写真でもその姿がよく分かるものだった。久しぶりに図録も衝動買い。もう少し絵画部分を充実してもらえればありがたいのだが、1/3は論説及び展示解説で、帰りの電車で目を通したところ外部研究者が相反することを書いていた・・・。なお後期は研究会に合わせて午前中に行くつもりだったのだが、日曜日はやはりきついかもしれないので考えどころhttp://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html。その後は寺町通りを歩いて歴史資料館へ。閲覧停止になるという文書群のうち手元にコピーのないものをとる。ひょっとして同地域の別の文書群もその可能性があるため中世文書(全て売券)24点の写真をコピーする。木印には類似するものがあるのだが、写真撮影の時期が異なるためか、筆致は少し異なっているような気がした。いずれにせよ原本が拝めるのはかなり先のことになりそうだ。なお下で関係する木札が展示されていた。HPに一枚だけ写真があるにも関わらず5点とあったので不思議に思っていたのだが、何と同文のものが5点あった。字も似通っており、どうも戦国期にまとめて作ったものらしいhttp://www.city.kyoto.lg.jp/gyozai/page/0000177680.html。三月末提出の某非常勤先のでっち上げ書類が一枚加わったというのを改めてみてみると、とんでもない作業量が追加されていることが判明した。どう考えても無給でやる仕事としては理不尽で、なおかつ整合性をもたせるには難問・奇問・マークシート試験にするしか対応できないもの。さすが理系・実用主義大学の最先端としかいいようがない。