wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

久保亨・瀬畑源『国家と秘密 隠される公文書』

本日午後も河原町丸太町で目録取り。どうも担当職員に顔を覚えられたらしく、史料請求書を書く前から目当てのものを持ってきてくれるようになった。部屋はやや寒かったのと、帰りは確実に座りたかったこともあって16:10には切り上げてしまったが、あと20分は粘るべきだったかもしれない。そういうわけで帰りの電車の大半は寝ていたが、量が少ないため昨日と合わせて読了したものhttp://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0759-a/。これまた今年でなくなる講義の定番ネタである日本政府の公文書管理の実態について、昨年成立した特定秘密の保護に関する法律を契機に執筆された。明治から日本には政策決定に関する公文書を保存するという意識が乏しく破棄され続けてきたこと。ただし個人が私物化することがままありそれが研究に利用されてきたこと。第二次大戦敗戦時の大量廃棄の概要。戦後も憲法に規定された「全体の奉仕者」としての公務員という意識はなく「戦前の方がまだ公文書が残っている、戦後の方が残り方は酷い」という状況であること。そういうなかで1999年に情報公開法、それに伴う大量廃棄を経て(前に紹介した核密約もこの時に廃棄された可能性が高い)、2009年に公文書管理法が制定され、政策決定に関する文書を作成し保存することを義務づけ、欧米どころか中国・東南アジア諸国などよりも遅れた公文書管理の第一歩が踏み出されたこと。ところが昨年成立した法は、いまでも情報公開では非開示になるものだけでなく、官僚が一方的に秘密指定、秘密解除による廃棄ができる仕組みになっており、公文書管理法を骨抜きにするものになる可能性が高いことが示されている。歴史的経緯については講義でも取り上げたきたことで、受講生に提示する参考文献になるのだがすでに終わった話。ただ最後の特定秘密保護法を官僚による公文書管理法に対するバッククラッシュとして捉えている点は改めて勉強になる。ネットニュースでも47万件を超える特定管理秘密が指定されているということでhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-10-25/2014102502_02_1.html、観念論右翼無教養AHO内閣を利用した官僚の暴走は進行中のようだ。