wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

松沢裕作『町村合併から生まれた日本近代』

金曜日にようやく採点を終え(このところ長文論述問題にかわる試験を試行錯誤している某講義はやや甘すぎたか)、三月末締切の追加業務は残っているものの、春休みに突入し昨日は安心して某集会・デモ・交流会に参加http://nandenan0227.blogspot.jp/。詳細は略すがはじめてお話しする方も多くいろいろ刺激をもらうことができた。その関係で電車読書も進行し、某所での紹介でやや気になったため衝動買いした表題書を読了。多様なモザイク状の社会集団で構成されていた近世社会から、1878年の三新法体制による府県レベルで徴集される地方税の成立によって「中央ー地方」関係という二つの公権力関係が生まれ、そこではなお曖昧だった町村が1889年の町村制に伴う大合併がおこなわれ、日本国家ー府県ー市町村ー大字という同心円的な行政区画の重層によって構成された近代社会が成立したという。近世の組合村・国訴などを代議制の前提として評価する研究には否定的なようで、「地方利益誘導型」と理解されてきた近代政治史に対しても、「地方」という空間自体が切実な意味を持たないものに転換したことで、むしろ一村レベルの個別の反対を抑圧して「利益」にまとめるメカニズムとして作用するようになったことが強調される。原理的に近代を捉える立場からするとこのような理解も可能だと思われるが、具体的事例が近世の説明では組合村とあわせては職人・賤民などの諸社会集団が取り上げられるのに対して、明治以降は近世村がどう変わっていくかのみとなり、後者がどう「地方」に位置づけられていくのか説明がないのはやや不満http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=258566。春休みの予定は3月初めの西九州旅行とお座敷一件のみ。このところ締切仕事しかできていないため、またダラダラ生活になりそうだが、何とか投稿論文を仕上げたいところ。