wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

ヨアヒム・ラートカウ『自然と権力』・『木材と文明』

原稿のあてなく春休みに突入してしまったので(先週半ばに曖昧になっていた原稿依頼が来たが)、昨秋に書店で後者を衝動買いした後にhttp://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1469-9.html、著者が環境史・反原発でも著名なドイツ人歴史学者であることに気づき(実は一昨年には当方の出身大学院で講演会もあったのに、メールをチラ見しただけで出席しなかった)、前者を図書館から借りだしまとめて通読してみた。前者は邦訳の副題として環境の世界史とあるように、人類誕生から現在までの通史。人による自然への働きかけ(狩猟・農耕・放牧・植民地資源収奪・ダム建設などの大規模土木工事・原子力発電・さまざまな環境保護運動)がどのような反作用をもたらしたかについて、その微妙なバランスと破壊について叙述され、今日の環境問題を考える上での歴史的アプローチの必要が示されている。とりわけ人口問題が重視されており、避妊・堕胎など人口抑制策も環境史にとって重要だと主張されている。その一方で日本史学の環境史ではことさら強調されている気温変動について特に叙述がない。理由は不明だが、私自身は今示されているデータだけで、歴史的事象を説明するのは非科学的と考えており勇気づけられるもの。またナチス・ドイツと生態学の関係についても興味深く、アメリカ型大量消費文明と自然を対置する点では日本の農本主義ともつながるか。前者が総花的に叙述されているのに対して、特に森林資源(材木と薪炭)に特化したかたちで、西欧の通史を中心に叙述されているのが後者(最後にタットマンに依拠した日本の事例も含めてアジアの叙述もあるが)。とりわけ強調されているのが伐採・輸送をめぐる技術史的アプローチと、産業革命が森林資源枯渇による必然的なものではなく、むしろ19世紀の爆発的な工業の成長こそが危機であるという見解が肯定的に紹介されている点。前者はこのところの当方のアプローチとも近く(校正がまだ来ないが)、やはり勇気づけられるところ。何とか15~17世紀の日本の歴史過程について山林資源開発を軸に位置付けたいもの。とはいえやはりダラダラしてしまっている。東大史料で早くチェックを済ませて投稿論文も仕上げなければならない。