wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

野村剛史『話し言葉の日本史』

昨年末に書店で立ち読みをした某書に引用されていたことで気になって購入し(某書そのものは見送ってしまった、ブログタイトルの肩書きを変えるべきか)、先週木曜日に読了したものhttp://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b75801.html。読みながら前日のブログ記事内容のことが頭をよぎり、係り結びなど文法に関する叙述がきちんと理解できないところがあったが、従来当方が得ていた知識とはかなり異なる議論がされているように思えた。万葉集段階では8母音ではなく6母音が「か行・は行・ま行」のみにあったこと、平安期にはそれが消えるとともに「を」と「お」の同一化・「ん」の成立といった変化が生じた。さらに室町期までに「係り結び」消滅・主格助詞「が」の成立・もとの連体形が終止形になる・助動詞の変化など現代語に近いものになる。中世西日本には人の流動性もあって強い方言の相違はなく、むしろミヤコの言葉が知識層を通じてパブリックな場における言葉として広がった。さらに豊臣期の武家の中央集住によって交際言語が「標準言語」として意識され、それが近代国家によって採用され「標準語」となった。関西弁と標準語系東京弁はアクセントを除くと音韻・文法はよく似たもので、言語上の大きな相違はなく、歌舞伎でも上方・江戸とも丁寧な言い方ではキリシタン資料などとも共通した「標準言語」の一方で、ぞんざいな言い方では方言性がむき出しになった相違があるという。書かれたものから過去の話し言葉を探るしか方法がないという限界は否めないが、交際言語としての「標準言語」という設定は、文化の問題とも関わって色々興味深かった。ブログを引き延ばして今週末締切のレジュメ作成にあたったが結局完成せず、本日は研究会と飲み会を終えてここに戻ってくることになった。