wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中見真里『柳宗悦ー「複合の美」の思想』

本日読了した電車読書の備忘。1990年代のポストモダン系学問によって袋だたきにされたという柳宗悦に関して、2003年刊行の学術書で再評価したという著者が、その後の知見を含めて一般向けにまとめたものということ。海軍水路局長から貴族院議員に転じた父楢悦と海軍官吏嘉納治郎作の娘勝子のもと1889年に生まれた宗悦の学習院白樺派東京帝国大学卒業時のアカデミズムとの「決別」・思想遍歴から1961年の死までの生涯を概観した上で(1章)、クロポトキンの相互扶助思想の受容から民芸の発見(2章)、3.1独立運動の衝撃から朝鮮民族美術への評価(3章)、世界平和は世界が一色になることではないという「複合の美」の観点から植民地への武力行使と大国間の戦争何れにも反対する非暴力・非戦の思想(4章)、沖縄・アイヌ・台湾・地方の独自の文化への評価(5章)、キリスト教から始まり二元的対立を否定する無対峙文化に到達する宗教観(6章)をトピックとして取り上げ、終章で世界を一色にすることが、世界に平和をもたらす道ではないという「複合の美」の思想が多文化・他民族の強制が求められている現代世界には不可欠なこと、最先進国モデルの平和論ではなく自文化を活かしながらの平和論構築こそが偏狭なナショナリズム克服のために有効な手段であること、非暴力を積極的なものと捉えることが主張され、「日本もまた持ち味となる資源を最大限に活用し、他律的・追随的存在に終わることなく、非暴力平和思想を活かしながら、確固とした文化国家として世界に貢献していきたいものである」、と締めくくられる。研究史は全く把握していないが、90年代のような近代思想を全否定するだけでは不毛なのは明らかで、「複合の美」はたしかにある種の魅力をもつ概念だろう。戦後の立ち位置についてはやや不明だが、戦前に朝鮮に関する文章で検閲を受けながら独自の立場を保持し続けたのはすごいことである。欧米人と対等に論争し、洋書にも英語で書き込みを残すなど語学力にも優れ、下手な劣等感を持っていなかったようで、それが戦前に伝統文化を追求しながら、「偏狭なナショナリズム」とは一線を画すことができた条件かもしれないhttp://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1307/sin_k718.html。ようやく軌道に乗ってきたかと思ったら、金曜夜からまた体調が悪化。本当に何とかしてほしいところ。