wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

大津雄一『「平家物語」の再誕』

9月に入ってからちょこちょこ外へ出る機会があり、昨日読了した『平家物語』の近現代受容史。近世には荒唐無稽な芸能の元ネタから史書の素材としてまで自由闊達に利用されていた『平家物語』が、近代実証史学によって愛想を尽かされ、国家主義教育とともに誕生した国文学に引き取られ古典文学と評価されるようになったこと。日清戦争後に西欧列強のような国民的叙事詩がないというコンプレックスから、詩文ではない『平家物語』がそう評価されるようになるとともに、「高貴な野蛮人」の伝統を受けた野性的で血気盛んな英雄というドイツ・ロマン主義の影響に基づき清盛・義仲が再評価されるようになったこと。日本精神としての武士道と国民道徳の結晶として戦時体制下で位置づけられ、多くの国文学者がそれに積極的に協力していったこと。同じく皇国史観に到達した国史学が人的断絶を経て戦後歴史学へと転換したのと異なり、国文学は主流派がほぼそのまま連続していること。また数少ない少数派と戦後歴史学を象徴する石母田正がモティーフとしてロマン主義的理解を継承したことで、再び『平家物語』は国民的叙事詩として復活したとする。そのうえで複数の「声」が響き合う作品を一つの「声」として規定するのではなく、ロマンティックな言葉を使わずに考え、ファナティックな言葉使いをすることなく語りたいと思うと結論づけている。戦時下の議論などやや紋切り型な印象も受けたが、戦前・戦後の連続など国文学史として非常に勉強になったhttps://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00912062013。土曜日は某学会の書評会、日曜日は内輪の研究会で報告、何れも古くからのなじみとしゃべり・飲み・歌い、先々週末からふたたび落ち込んでいた気分も少しは復活したが、明日からは授業が再開。結局夏休みの成果は全くなしという情けない結果に終わった。前期ほどではないが日々の授業準備とともに、10月から2月まで毎月外でしゃべる機会が与えられたため、それに費やすことになりそうだ。まあ何もないより遙かにましなのだが・・・。