wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

木村光彦『日本統治下の朝鮮』

本日はルーティン姫路。帰路にボロボロになっているのに気づき新調した夏服をデパートに取りに行き、自宅から自転車で健康診断の結果を聞きに行き、水曜日に父親が入所した施設に寄ってから、ようやく遅い夕食。いろいろ疲れた(幸い少し気になっていた肝臓はまだ正常だった…)。そんなこんなで表題書の備忘http://www.chuko.co.jp/shinsho/2018/04/102482.html。もとから数字しか扱わない経済史の著作で期待していなかったが、韓国・台湾を並べ戦前戦後の連続性を強調する京大だったかの誰かよりはマシだが、まあ予想通り。統計資料の残っている韓国併合時よりの南を中心とした農業改良・北の工業開発を取り上げ、経済成長を「論証」。戦時体制下の軍事工業化の進展に触れた上で、戦時体制と北朝鮮全体主義として連続していたとしながら政権が経済運営に失敗したのに対して、南は日本統治末期から市場経済に体制転換したことで、日本統治時代の遺産を継承できたと評価する。現象への叙述としてはそんなにひどくないとは思うが、なぜ戦後だけイデオロギーを基軸にするのか意味不明で、米国市場にも触れない。また日本人の経済進出・日清戦争・数々の義兵鎮圧などのファクターを入れずに1910年から初めるのも一面的すぎる。にもかかわらず購入したのは父が1935年朝鮮生まれ、しかも祖父は両班地主・祖母は日本出身の妾だったという事情による。戸籍によると父は祖父の死後である1941年に朝鮮籍(戸籍上の母は祖父の正妻)から祖母の母の養子として日本籍になったと記されている。祖母は満洲生活必需品供給公社という国策会社で働き、戦後に最終の船で引き揚げてきたが、祖父が存命なら日本の敗戦とは無関係にそのまま留まることになっただろう。本書でも戦時中の工業開発は興味深く(日本窒素は有名だが、昭和電工まであるのは驚いた、前から北朝鮮での公害発生状況は気になっているが、ここでは触れられていない…)、人脈的にも戦後日本重化学工業とかなり連続しているはずだろう。数字屋さんは全て捨象するから成り立つのだが、日本の植民地支配はやはり人間の問題抜きには考えられないと思う。