wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

京都文化博物館『八重の桜』

昨日は試験前の授業予備日ということで、当方の講義はなし。当座の切迫した仕事もなかったため、久しぶりに京都での火曜日の研究会に参加する。大学院入学以来通っていた京都の研究会だが(途中で場所は変わった)、近年は休日開催の場合にたまに参加するだけで、火曜日はもしかしたら98年の大会報告以来かもしれない。成り行きで飲み会にも参加したが、何とか12:00過ぎに帰宅することができた。その前に時間に余裕があり、いただきもののチケットがあったため、観覧したのが表題の展覧会http://www.bunpaku.or.jp/exhi_special.html。ドラマのほうは初回を半分ほど見ただけで、全くの「専門外」だが、余り人手が多くなかったこともあり、じっくり楽しむことができた。以下に気づいた点を書き留めておく。①絵図によると会津若松は近世末まで惣構を持つ都市だったようで、保科以後のイメージしかないため、いつ形成されたのか気になるところ。②幕末の諸事件・戊辰戦争がらみの番付・瓦版・錦絵など出版物が多数展示されており、この時期はメディア社会に突入していることが実感された。③そのいくつかには所蔵者のものらしい書き込みがあり、会津の「芸能」民・名産品などを記した番付には、95歳になった自分の名前が記されていることが明記してあった。展示ケース越しで読みづらかったがその他にもいろいろあり、伝来論という観点から興味深いもの。④孝明天皇松平容保に与えた「感状」?は維新以後も重宝として伝来されていたようだが、無署名なのは当時なら普通なのだろうか。⑤八重に与えられた勲記が展示されていたが、「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ帝祚ヲ践タル日本国皇帝ハ」と書き出され、「天皇御璽」が押印されているのは初めて知った。授業準備で世界向けの「皇帝」と日本向けの「天皇」が使い分けられていることを読んだが、ここにもそれがあらわれているようだ。やはり現物を見ると、色々発見があるものだ。