wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

書評「桃崎有一郎著『中世京都の空間構造と礼節体系』」

本日到着の『日本史研究』588号に掲載されたが、成稿の事情を書き留めておく。手元にある執筆依頼状の日付が2010年4月19日で、著者の論文は斜め読みをした程度であったが余り何も考えずに承諾の返事を送ったのがきっかけ。昨年の夏休みにメモを取って熟読するが、全く書評のイメージがわかずに10月末の締め切りにも関わらずほったらかしにしてしまう。近年の関心とは全くかけ離れていたためで、本来はここで断念すべきだった。これまで書評依頼は一本以外は引き受けているが、よく考えるとどうしてこの本の書評が回ってくるのかよくわからないのが多く、自らの研究者としての立ち位置の不安定さがよく分かる。しかし生来のビビりで、立場上からもすっぽかしにできないと言うことで、再び取り組んで何とか執筆して提出したのが三月末のこと。それから間もなく某雑誌に掲載された別の執筆者による書評を読んで、やはり失敗だったと言うことに気づく。その評者と著者の間にはいろいろと激しいやりとりは目についていたが、両者は大枠の問題関心は共有しているようで、評者の立場から自説と著者の違いを確認するものになっていた。ところが当方は著者の問題関心の重要性をそもそも理解しておらず、全く外部からの批判になってしまっているのだ。しかしそれから間もなく編集委員からいくつかの字句修正の依頼があり、一度は提出したものを取り下げるわけにもいかず、若干の手直しをしたのみで再投稿し、校正で編集事務の指摘で文章を直して刊行されることになった。短文とはいえ何人もの方の手を煩わせることになり、申し訳ありませんでした。それにも関わらず内在的な読み込みにより研究の発展に貢献することができず、素人による印象論に終始してしまい、著者および関係各位にお詫び申し上げます。なお書誌情報は以下を参照http://www.shibunkaku.co.jp/shuppan/shosai.php?code=9784784215027。今度こそ書評依頼はもう少し立ち止まってから返事をしようと固く決意する。
*追記 そういう成稿事情および会員数の多い学術雑誌という理由により、抜刷を広く皆様にお送りしませんが、あしからずご了承ください。