wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

伊藤隆『歴史と私』

今週末は科研の研究会のため、東京に呼んでもらう。昨晩は結構飲んだため安宿の大浴場へも行けず、シャワーを浴びただけで眠りについたのだが、どういうわけけあ2:30に目が覚めてしまう。その後もうつらうつらしていたのだが、午前の研究会でも睡魔をこらえるのに必死。午後は映画をいくつかピックアップしていたのだが、気力が尽き果てて帰阪。新幹線内でもいただいた抜刷を読みさしで寝てしまったので、合理的選択かとも思うが、せっかくの東京行きでもったいないことをしてしまった。電車読書のほうは上京時に読了していたものhttp://www.chuko.co.jp/shinsho/2015/04/102317.html。かつての東京大学文学部の日本近代史担当教授・山川出版社日本史教科書を執筆した著者の回顧録。公文書公開が遅々として進まない中、政治家・軍人本人へのインタビューを進めるとともに、個人蔵史料を収集し公開していったという点で、比類なき仕事を成し遂げた方で、本人・遺族へ何度も接触を試みるなどその執念には頭が下がる思い。その一方で本人の政治的思考には全くついていけないだけでなく、理由がそもそもよくわからない。著者は東大駒場在学中の1951年から55年に日本共産党員として活動していたとのことだが、そもそも何がしたかったのかよくわからず、その後の左翼・共産党への強い憎悪の理由も語られない。痛切な敗戦体験も見受けられず、なんとなく革命がおこり幹部になれると思っていたのが、嘘だったという以上のことが感じられない。また著者の大きな業績として「革新」官僚を通じた戦前・戦後の連続性の主張があるが、これも彼らへの密着から導き出された結果にすぎないような気がする。「仮に大日本帝国憲法に『戦争をしてはならない』という条項があって、それに天皇が違反して無理やり国民に戦争をやらせたというのであれば」(p189、これ自体明らかに憲法9条への憎悪の発露)という極論まで持ち出すが、そもそも日中戦争期に政府首脳が戦争について深く意識しておらず、そのまま国内要因で対米英戦に突入し、敗戦を迎えたという現実だけで、当該期の歴史像をとらえていいのかは疑問。さらに後藤田正晴すらハト派で合わないと公言し、右派政治家・反共労働組合活動家など自らの政治的思考に合う人々へのインタビューで歴史像が組み立てられるというのはやはり納得できない。さらに著者は自身が属していた時期の共産党を裏返しただけのファナティックな「新しい歴史教科書をつくる会」の理事としても活動しているが、東京裁判への強い反発は語られるが、理事として何をしているのかについては全く触れられていない。なお知らなかったが坂野潤治御厨貴氏とは「決裂」したらしい。