wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

竹岡俊樹『旧石器時代人の歴史』

本日は昼間の非常勤が宗教行事で休講となったため、積み残しておいた雑用に取りかかるが結局は終わらなかった。木曜日の状況によっては土曜日は家ごもりをする必要があるかもしれない。それはさておき本書は金曜日に書店で見つけ、本日夜の講義のために昨日の電車の中で第4章まで読み終え、最後の第5章を本日の出勤途中に読み終えるという綱渡り。昨年から担当している教職向けの概説だが、列島社会の地域的多様性を紹介するということで、DNA研究・考古学の地域性研究を紹介しているのだが、不安要素も多いため購入・読了した次第。第1章は時代の概観で、第2章は日本における学史の振り返りで、芹沢長介の自然科学に依拠した解釈、杉原荘介の方法を継承した戸沢充則の発展段階論的解釈の何れもが資料分析から遠ざかるものになったとし、あの「ねつ造」事件までの経緯が紹介されそれを見破ることができた著者の活躍が語られる。この部分は研究者相互の関係の暴露も含めて興味深いもので、第3章の石器研究の厳密な観察方法を解説した部分は迫力がある。ところが日本列島の具体像の分析となる第4章では、九州を瀬戸内地方や東日本地方から到来した文化のいわば吹き溜まりとなった、列島の南端という地理的条件と評価するのだが、これまで強調されてきた朝鮮半島などとの関係には一切論究されていない。さらに第5章では東国中心の茂呂系文化を新人、瀬戸内中心の国府系文化を旧人のものとし、両者が併存していたと結論づけるが余りにも唐突な感が否めず、結局授業では旧説を前提に進めることになった。著者は明治から東京教育大学大学院に進学して杉原から非難され、パリ第6大学で石器の形式学を徹底的に学ぶも分類だけでは文化は捉えられないと主張して博士論文諮問で非難されたという経歴のようで、本人はフランス流の厳密な自然科学的な観察と記述を基礎として、言語学的な共時態分析を行い、杉原の文化のとらえ方で遺跡間の比較を行うという方法を得たと自負しており、同志社の島根砂原遺跡も偽石器(ねつ造ではなく自然石の見間違い)と決めつける。同じ非常勤のみとしては肩入れすべきかもしれないが、30万年前に日本列島に到達した原人が1万数千年前まで生き延びたという結論はこれだけでは受け入れがたいところhttp://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2584964