wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

『世界』2022年9月号

木・金は公務扱いで和歌山へ調査に。スマホで約6万歩、さすがに疲れた。例によって詳細は控え電車読書の備忘のみ記録しておく。久しぶりに購入してみたが、全体として朝日新聞記者が増えたという感触。小選挙区制賛成から購読していないので(ここ十年は維新押しの記事が流れてくる)、単なる印象だがなぜ自社でない媒体にわざわざ書くのか疑問。なお特集「歴史否定論 克服は可能か?」では、歴史否定論・修正主義の偽の等価性を主張する武井彩佳氏の論に対して、小田中直樹氏は熟議的なコミュニケーションこそが王道だと主張する。どこかに楽観的な展望があるのならもう少し論じてほしかったところ。なおそれに限らず論説の多くに中途半端さを感じざるを得なかった。

世界 2022年9月号 - 岩波書店

なお帰路・帰宅後に2大学・1職場からやっかいなメール。せっかくの調査の余韻が台無し。ハブられたのか正式の案内が届かない熊本も行けて金曜のみ、やはりパスするべきか。

土塔

そういうわけで本日は1限中百舌鳥で追試、午後は西宮で研究会打ち合わせ。レジュメを両面コピーしたときにくっついて抜けてしまうという大ミスがあったが、久しぶりの対面で論点整理を実施。全体テーマの変更などいろいろ進展があった。その間にやや時間があったので、表題の史跡まで足を伸ばす。長らく府内在住ながらこれまで一度も出かけていなかったという情けなさ(本当は天王寺で実施されていた土塔会のほうが気になるのだが)。同名の近世村は山上に立地し(ふとん太鼓の幟が並んでいた)、大野寺ととともにそこから谷の方へ降りたところにあるというのは体感できた(隣接して近世墓地)。滝汗をかいた甲斐があったというもの。

現状は復元

 

『現代思想 ウクライナから問う』

先週は明日の報告準備をしていたものの、結局ダラダラと過ごしてしまう。外仕事は金曜日のみだったが、東京以来抱えていた表題書だけは処理をしておく。出版社のスタンスに沿う思想・文学の専門家をかき集めたという感じの総勢41人の執筆者。論点がダブるものも少なくなく、ロシアを悪魔化しただけというものもあった(当方の政治的スタンスは「プーチンは戦争を止めろ」だが、それだけの議論なら読む必要はない)。歴史系はロシア史家の対談とモンゴル帝国史のみ。ベラルーシリトアニアなどの周辺地域の状況、より国際関係論的視点、大規模な国際的な軍拡がもたらす温暖化への影響、食糧問題(ニュースではロシアの妨害を排してウクライナが輸出できるかどうかが話題になっていたが、長期化したらそれどころではないはず)も知りたかったところ。それでも先に紹介した『物語ウクライナの歴史』より複雑な構造、ロシア宇宙ステーションの現状などいろいろ勉強にはなった。

青土社 ||現代思想:現代思想2022年6月臨時増刊号 総特集=ウクライナから問う

本書でしばしば取り上げられたドゥーギンが乗る予定だった車が爆破され娘がなくなったとのこと。ニュアンスの差はあるがそれほど重要人物と捉えるべきではないとの評価だったようだが、どういう事情なのだろうか。昨日のNHKではクリミアの爆発はウクライナの工作ということになっていたが(なお当方はNHKの自国報道はロシアと変わらないと考えているが、国際報道は一応観る立場)。

「プーチンの頭脳」ロシア思想家の娘、爆弾で死亡 車に仕掛けられ 

 

 

京都博物館3題

京都国立博物館河内長野の霊地 観心寺金剛寺

高校生まで育った街、ということで観ておこうと思った次第。客はコロナ以前の常設展よりガラガラで、じっくり鑑賞できた。ただチケット屋にも前売り券は流れておらず、宣伝にも力を入れていなかったよう。元慶の「資財帳」は上に3本・下1本の罫線と別に中央にも罫線あり(不勉強ではじめて観る形式)。国宝「『延喜式神名帳」は朱により校合がされ、振り仮名の「七」は「ナ」にわざわざ書き換えられるなど特徴的。金剛寺禅恵の聖教が観られたのはよかったのだが、「秘密舎利式」は裏に聖教が見え「南帝」という注記などから原本とみなしてよいのか疑問。南朝がらみでは正成文書があり、「左衛門尉」は誰からもらったのだろうか。奉納された腹巻20領、大山巌東郷平八郎筆なども興味深い。また秀頼の寺社再建事業で観心寺金堂棟札はよく観る形式だったが、金剛寺金堂は片桐且元書状のような不思議なもの。なお久安六年銘の瓦で干支「庚午」を「午」とのみ読み「广」を見落としていたのはいかがなものか。

京都府立京都学・歴彩館「あやしい・・京都」

バスで府立大学前まで移動。祇園まではかなり渋滞しており、路駐がそれを増幅していた。こちらは文献コピーが目的で、昨日知った科研報告書の「筒井寛聖氏所蔵東大寺文書」(筒井寛秀氏所蔵文書の誤り)にいろいろ興味深いものあり。展示は祭祀系の考古遺物・牛王宝印の民俗行事・酒呑童子関連など。なぜか南丹市日吉町郷土資料館蔵の「アユノモチオケ」・巨椋池で用いられていた「デンチ網」も混ざっていた。無料の展示解説集が配付。

相国寺承天閣美術館武家政権の軌跡」

こちらは某Twitter情報で知ったもの。義満・義政などの肖像、夢窓疎石以下オールスターキャストの頂相・墨跡、永楽帝勅書・朱印船の朱印状、東山御物に含まれる美術品など優品のオンパレード。さらには義嗣の肖像(初公開とされるが、まつる塔頭があってそんなものがあるのも初めて知った)、「相国寺供養記」原本(抹消・書き込みなどがチラホラ)大徳院領地文書7通など掘り出し物も多数。最後の二つは掲載されていないがパンフレットも頒布。軸物は箱が添えられているのも有益。

校正が届くのが遅れており、何となくだらけてしまっているが、これで息抜きは終わり(逆に9月がワヤ)。明日からはちゃんと仕事。

*なおいつもリンクを貼っているが、本日はなぜか反応してくれないので略。

 

 

 

 

三島・韮山

9日は上野・浅草・両国を歩き、10時から刀剣博物館で史料閲覧。こちらもドンピシャ記述はなしも複写を18枚(900円)。その後は新幹線で三島へ向かい、車内でレンタサイクルを見つけ予約。一遍由来の時宗西福寺、三嶋大社・境内の割にガラガラな宝物館では治承4・5・7年の頼朝文書(それぞれ花押の位置が異なっているのが興味深い)など大河を意識した解説をつけた文書が10点以上、間眼神社、国清寺、韮山城跡、蛭ヶ島、願成就院、伝堀越御所跡、北条氏邸跡、北條寺、豆塚神社を回る。思いついたのが三日前、事前に確認していた暦師の館に道を間違えて行けなかった、午後の4時間ほぼ炎天下のサイクリングでかなり体力は消耗したが、この地が室町まで重要な場所であり続けたことが実感できた。なお大河ドラマ関連と思われる観光客はチラホラ。

蛭ヶ島、頼朝・政子像(頼朝は神護寺像とも異なり何もモデルにしたのか不明で、貴種性は感じられない)

国清寺、畠山国清上杉憲顕開山塔(恐らく違うが案内看板による。国清寺は予定していなかったが、当日道路標識をみつけ立ち寄ることができた)

黒川祐次『物語ウクライナの歴史』

本日は5:30起床。6:42新大阪発で東京へ。10時から16時前まで東大で史料閲覧、その後は国会でいくつかの文献コピー。自治体史以外は大ヒットはなかったが、懸案事項を片付けることはできた。さすがに疲れたので、そのままホテルに入り電車読書だけ片付け。秋の講義用に購入した本年3月刊行の11版。著者は外務官僚だが、1996年の大使赴任もたまたまだったようで、その後もアフリカの大使を経て大学に転任したという経歴。それにしてはスキタイやキエフ・ルーシの時代から、ソ連崩壊と独立の経緯までがバランスよく整理され、当方のような全くの門外漢にもポーランドオーストリア・ロシアといった大国の確執と、複雑な成り立ちがよく理解できる。ウクライナの工業化が農民層を労働力として吸収するのではなく、ロシア・ユダヤ人の流入をまねく一方で、農業移民としてアメリカ・カナダにわたったことが国際政治では有利に働くことになったというのも興味深い。また第二次大戦中のドイツ占領下でのウクライナパルチザン活動をスターリンが掃討するのに1950年までかかり56年にも残党がいたというのも初めて知った事実。物語 ウクライナの歴史 -黒川祐次 著|新書|中央公論新社

これからシャワーを浴びてからビールでも飲みに行くことにする。