wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

佐伯真一『「武国」日本』

本日は100分3コマ、先週が余りにもひどかったので最初に釘をさしたところ少しマシになったが、体力的にはきつい・・・。そんな中、電車読書は以前の武士道論が面白かったこともあって衝動買いした表題書http://www.heibonsha.co.jp/book/b373044.html。著者のもともとの専門は『平家物語』だと思うが、副題に「自国意識とその罠」とあるように、平安期の辺土という前提での「神国」意識から、鎌倉初期から「武」にすぐれているという意識が登場し、当初は末法と重なる必要悪的なものだったが、武士の自意識として「文=公家」への対抗として成長し、それが秀吉では「文国=中国」に対する「武国=日本」となり、近世には対外戦争の失敗ではなく「武国」の成果として語られ、『日本書紀』の「天瓊矛」などまで持ち出され儒者が古来の「武国」として理論化が図られ、社会的に定着しながら近代の「武士道論」の主流へと連続していくとされる。大変興味深く、『平家物語』は当初は現行よりも「武」を低く位置づけていた可能性、本居宣長儒学者系の『日本書紀』解釈を全く無視していたこと、著者が前著で明らかにした「だまし討ち」が肯定的に評価された事実を曲げて西欧騎士道との共通点を説く新渡戸武士道論が主流派の「武国」論からは孤立していたこと、井上哲次郎・重野安繹らが「武国」論を説く一方で、橋本實『武士道の史的研究』(1934)が実証的な議論を展開していたことなど、大変勉強になった。「おわりに」では著者は近年隆盛の「伝統」論に深刻な危機意識をもっていることが吐露されており、日本文学研究者でも当然のことながらまともな方はまとも。