wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

黒嶋敏『海の武士団』

本日は組合の学習会。東京から招いた講師の報告を聞き、ブラックW大学の迷走ぶりにあきれるるとともに、現政権のもと事態はより悪質な方向に進む可能性があり、大きな運動をつくることが強調されていた。ただただ目先の人件費削減のために学術体制そのものが破壊されてしまうのはあまりにも本末転倒。そうはいっても学術側もしっかりしなければならないのだが、行き帰りに読み始めた某雑誌の現代中国の思想潮流特集は、いくつかの「論文」?の意図が全く意味不明で論評すらできない。木曜日に読了した表題書も、諸事情を鑑みるとスルーすればよいのだが、専門分野を同じくする研究者としての責任もあり少しだけ備忘を残しておくhttp://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2585626。故網野善彦の「海を志向する武士」という明るいイメージに対して、それでは「海の武士団」が戦国から近世への転換点に姿を消していくことを説明できないとして、海の民・海の領主を〈海の勢力〉と呼び、武士による政治権力との関係を、鎌倉・室町・戦国とそれぞれ叙述したもの。そして鎌倉幕府戦国大名海上流通が持つ利便性の恒常的な享受に重点を置き〈海の勢力〉を規制したのに対し、鎌倉期の地頭や室町期の守護は流通がもたらす富の刹那的な収奪に邁進した〈海の勢力〉の同業者とし、得宗専制南北朝期の政治権力は統制者と同業者の両面を併せ持つため「悪党」「海賊」が出現すると結論づける。どれだけ今の研究者が支持しているかもわからない行き過ぎた研究を批判したいのだろうが、武士を統治者とした段階で結論が見え見えの二元論法で、しかも余りにも既視感が強すぎる。著者が〈海の勢力〉の行動パターンとして用いるローカルという概念についても、サーフィン用語だとするが、法制史研究ではさんざん用いられてきたもの(なぜか参考文献にその論者の名前が見えないが)。さまざなま側面が複雑に絡み合っているのが中世の実情で、いくら一般向けの通史とはいっても余りにも単純化しすぎだろう。