wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

白水智『古文書はいかに歴史を描くのか』

昨日は4月からの仕事の関係・抱えている報告書関連のため地域連携協議会に参加し飲み会・二次会に、本日は同所で今期最後になる古文書学の試験7名。先週は原稿その他に追われていたため、答案は全く手つかずのまま。今週は採点に精を出さなければならない。そういうなかで書店で衝動買いしたものを読了https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00912362015。学生時代から現地を歩き、神奈川大学常民文化研究所で調査経験を積むとともに、修復技術を身につけ、自ら中央大学山村研究会を結成し、古文書調査を続けてるとともに、地球研プロジェクトでは学際研究を主催してきた著者による、調査の実践記録、そこから明らかになった思いも寄らないいくつかのトピック、著者が継続的に関わってきた秋山郷の立地する長野県栄村における2011年地震以後の取り組みについて、述べられたもの。実践の具体的記録は勉強になり、古い裃の裏打ち文書から明治維新後に飯田の呉服屋で藩の廃棄史料を裏打ちにして家紋を付け替えられて販売されたことを明らかにした項目、逃げ出した狩猟犬をみつけた文書や地名の記載について聞き取りからその裏事情を明らかにするなどトピックも興味深く、地震後の活動にも頭の下がる思いである。ただ襖の下張りならいざ知らず、日本全国どこでも手つかずの文書が残されて飛び込みで調査すればよいというような叙述は(近代文書が調査されないままというのは結構あるだろうが)、昨日の協議会での感触からしてもやや違和感があり、それなりの根回しと調査者への信頼が不可欠で、場合によっては地域の諸関係をぶちこわす恐れも記しておくべきだろう。それ以上に引っかかったのは、史学科の学生が在学期間中に生の古文書に触れたり、見るとは限らない、カリキュラムとして存在していないと一般書で吹聴することである。確かに著者が卒業したようなマンモス私大は各専門教員ごとのゼミに振り分けられるので、そういう学生もあり得るだろう。しかし日本史研究室として機能している大学は全員参加が義務づけられている正規カリキュラムではなくても、古文書合宿が行われているのが普通で、多大な努力もされている。昨日・今日も深刻な話を伺ったが、そういった方々を後ろから撃っているとしか思えない無責任な発言は勘弁してもらいたい。なお207頁の翻刻「奉公」は、写真では「奉行」で、解釈は奉行になっているので、誤読ではなく校正ミスかと思われる。