wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中野博文『暴力とポピュリズムのアメリカ史』

本日は枚方3コマ。花粉症が収束しない中、何とか無事終える。電車読書は1月衝動買いシリーズの最後でタイトル買いしたもの。2021年米国連邦議会襲撃事件を冒頭に配し、その主体となった合衆国憲法の悪政を行う政権を打倒するための武力を一般市民に保障したことで、設立が許されている民間武装団体としてのミリシアについて、その出発点となったイギリスが北米植民地を建設したときに設置されたミリシアから説き起こし、人民武装理念の史的展開として、歴史を辿ったもの。植民地で設立されたミリシアは全員参加の共和主義的性格を有する一方で、フロンティアでは先住民や他の列強の植民地との紛争を暴力的に解決する組織としてしばしば植民地政府にも反抗的姿勢をみせていた。独立革命の発端になったのも英軍がミリシアの武器を奪おうとしたことで、憲法修正第二条で「よく規律されたミリシアは、自由な国家の安全にとって必要であるので、人民が武器を保有し携帯する権利を侵してはならない」と規定された、その一方で遠征軍として大陸軍が存在し、反抗的で充分な訓練を受けていないミリシアは扱いにくいものだった。その結果、19世紀前半に全員参加から志願兵のミリシアになり、州政府が士官を任命する州軍と呼ばれるようになった。正規軍の規模を最低限できたのも、予備軍としての州軍が存在したことによる。その一方で専制政治と戦う市民組織としての側面も維持され、連邦政府への反抗、普通選挙後は政党との関係性を強化し、圧力団体としても機能する。しかし州軍が予備軍化したたため、公民権法が南部の州自治への介入とみなした人々が、連邦政府専制と戦う組織として民間ミリシア団体が設立され、2021年の事件に至るという。つまるところフロンティアにおける特権意識・暴力性を内包したままという独特の性格ということになるか。なお南北戦争における南軍の動き、その後のKKKあたりについてはもう少し説明が欲しかったところ。それとからむのだが、人種対立が少なく、まだ開発が十分に進んでいない地域として、ミシシッピがあげられ(142頁)、もろディープ・サウスのはずで違和感を感じ、115頁の地図を確認したところ、凡例「南部連合の奴隷州」が一つも存在せず、南軍地域が「連邦支配下準州」に充てられていた。とんでもないミスだと思うのだが、誰も指摘しなかったのか本日閲覧のHPにも訂正が表示されておらず。日本社会にまともに仕事ができる組織が一つでも残っているのだろうか・・・。

暴力とポピュリズムのアメリカ史 - 岩波書店