wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

広中一成『通州事件』

昨日は久しぶりに姫路で飲み会、帰りの電車も含めていろいろ情報交換ができ有益。相変わらずヘロヘロ通勤が続くが、電車読書のほうは講義で南京を取り上げている関係もあって、一部で騒がれている問題に関する表題書を読了http://seikaisha.co.jp/information/2016/12/15-post-tushu.html。1937年7月7日の盧溝橋における日中両軍の衝突について、日本側が「膺懲」のため増派を決定し日本側の支那駐屯軍による北京総攻撃が開始されたのが7月28日という状況のなか、日本側の華北分離工作により樹立された冀東政権のもとにあった北京から20㎞ほど東にあった通州で、29日に中国人保安隊が反乱を起こし居留する日本籍114名・朝鮮籍111名の住民が虐殺された事件について、その経過を跡づけたもの。通州には日本側の支那駐屯軍が兵営を置いていたが、当時の日中間で締結されていた条約からみても正当とはいえなかったこと。居留民たちの多くは中国国民政府の関税を逃れる密貿易に従事しており、アヘン・ヘロインを扱うものもいたこと。関東軍誤爆と抗日意識の高まりが保安隊の反乱要因で、日本側の通州領事館警察がその兆候を察知していたにもかかわらず、日本軍と冀東政権が全く予想しておらず、なおかつ発生当初は支那駐屯軍が事件の隠蔽を図ったため被害が拡大したこと。居留民をかくまったり事件で被害を受けた中国人も少なくなく、日本軍への警戒から通州への帰還を恐れる状況が一ヶ月ほどで回復したこと。事件が居留民を保護できなかった日本軍の責任問題になることを恐れ、一方的に被害者の立場に立って再建された冀東政権に責任を押しつけるだけでなく、中国への敵愾心をあおるプロパガンダとして大々的に報道されたこと。慰霊塔が建設され弔慰金が支給されており事件そのものは完全決着が図られているが、その額は日本籍と朝鮮籍で倍以上の額の開きがあったこと。途中の日本軍関係者が殺害される経過について余りにも詳しく叙述されていて、日本側の報告書がそこまで信用できるのか疑問に感じるところもあったが(それをメインにしたらしい、プロパガンダ本の広告も見かけた…)、全体には冷静な筆致で事件の全体像が示されており、講義で何かあった際の準備はすることができた。侵略の先端てこういう事件が起こることは珍しくなくいにもかかわらず、わざわざ日本側から世界に持ち出そうというバカが出現するほど、社会が劣化してしまったことには途方に暮れるばかり。