本日は学会もパスして、組合の機関誌印刷と委員会。ということで、読みさしになっていた春の特別割引でカタログ購入していた表題書を読了。貞享元年(1684)に山城・大和・河内・摂津・近江(琵琶湖・淀川、大和川、武庫川水系)の山方からの土砂流出防止を目的として始まった、周辺大名11氏に担当地域を定めて巡視し普請をすすめた制度について、その背景となった新田開発と草肥の採取による山方の荒廃、奉行の巡検の実像、採られた工法の実態と効果、経費・町奉行所の関与強化などの改革に触れ、明治政府による国費投入による砂防事業の開始までを概観したもの。絵図などから具体像も示され(残念ながらモノクロだが)、当時の河川環境と幕府の対応を知ることができ有益。ただ山地荒廃の原因を、地質的な要因に加え、「徳川の平和」到来により急速に進行した新田開発や、肥料などの確保のための草山化とする点は疑問。絵図で具体像が示されている木津川水系は大住・薪に代表される中世から山論が多発していた地域。14世紀にはすでにかなり開発がすすんでおり、戦国期に淀川で大洪水が発生したのも河床上昇が関係していると考えられ、山城の展開がそれに拍車をかけたと思われる。科研代表者になれたら、考古学・植生学・山城などの研究者とともに、「14~17世紀における淀川水系の環境変遷に関する研究」を組織したいところだが、どこの研究機関にも受け入れられていない身としては夢の又夢。