wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

武井弘一『江戸日本の転換点ー水田の激増は何をもたらしたか』

本日はパワポ古文書学と政基マンツーマン読書会。逆方向で往き帰りとも座れるため、ほとんど寝てしまっていたが、読み止しを何とか読了。近年の関心に伴って衝動買いしたものhttps://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00912302015。前半部分は加賀藩の十村経験者土屋又三郎(1642?~1719)の農書『耕稼春秋』・『農業図絵』の紹介を通じて、17世紀農村社会の実態と水田耕作の有した稲作(藁・糠の流通も含む)と複合した裏作・畦畔栽培・狩猟・漁労・採集といった生業構成と、鷹狩という武士系テリトリーと百姓系テリトリーの相克をはらみながらも、「日本近世型生態系」という理想的ではなく辛うじて保たれていた調和が抽出される。後半部分では享保期に顕在化する新田開発の限界、水田の肥沃化による虫害の拡大、草肥農業の限界と金肥による経済格差、治水の困難など、水田拡大がもたらしたリスクが述べられている。近世環境史の現状をわかりやすく示した点では非常に有益な書だとは思う。・・・が、「耕地がピークに達した十八世紀前半になって、ようやく日本列島では、コウノトリなどの大型の鳥が安定して繁殖できる自然環境になった」(p126)という一文に代表されるように、日本の歴史は太閤検地から始まったという、大多数の近世史研究者の見解を共有している点で、環境史としては大きな欠点がある。近世加賀国の新田の多数は中世までの潟湖が干拓されたもののはずで、狩猟リスクの低い中世のほうが大型鳥類が多数分布していたことは容易に推測される(とりあえず汽水か淡水かという生態系の相違はおいておく)。また草肥農業が近世から始まったようなニュアンスで叙述されるが、これは平安には確認されるもの。歴史的実態としては15世紀にはすでに従来の農業システムは飽和状態に達しており、土砂の流出など多大なリスクを招いていたが、16世紀から沖積平野の大規模な開発が進められることで延命が図られ、それが再び限界に達したのが享保期とみるべきだろう。某論集は全く出る気配はなく、15世紀についてはちゃんと実証論文を書かなければいけないのだが・・・。本日国保の決定通知が届き、昨年度より月2660円減額されていた。年収が順当に減っているためだが、少しはほっとした。