wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

志賀賢治『広島平和記念資料館は問いかける』

本日はルーティン姫路、3月刊行の紀要初校が到着しそれにまつわる諸作業でバタバタ。そんななかで博物館に縁をもったこともあって衝動買いしていた電車読書の備忘。2019年に実物資料(被爆したモノ・被爆者の遺品)中心の展示にリニューアルした際の館長が、その概要と資料館の歩みを振り返ったもの。資料館の収蔵品の基礎がハルビン博物館地質科に勤務した経験があり、原爆投下当時は広島文理大学地質学鉱物学教室授業嘱託だった長岡省吾が、爆心調査から始めて「自分にとっては、家族よりも瓦が大切なんだ」と妻に断言しながら収集した資料が中心だったこと、1955年に長岡を初代館長として原爆資料館が開館するが、翌年には原子力平和利用博覧会が開催され、設置条例上も「原子爆弾による被災に関する」事業とともに「原子力平和利用に関する」目的があったこと、62年の長岡退任時にかなりの実物資料が邪魔者扱いされて持ち帰らざるをえなかったこと、73年からの第一次改修時の蝋人形展示の是非をめぐる議論、90年の第二次改修時のパノラマ模型をめぐる議論、新リニューアルと「博物館」であるかどうか以前に、「ヒロシマの死者を記憶するための施設」という使命の再確認、までいろいろと勉強になった。とりわけ長岡のような半アカデミー的立ち位置の人物の役割は興味深い。ただ1978年広島市役所就職、2013年市役所退職で平和資料館館長に就任という著者が、どういう行政畑を歩んできたかが全く記されておらず、部外者的な記述に終始しているところには違和感があった。

広島平和記念資料館は問いかける - 岩波書店