wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

宇佐美文理『中国絵画入門』

ようやく本日が今期最後の試験で受験者217名。先週は気力を萎えさせることが続き、採点も完了させないまま新たに積み重なることになる。ただこれでしばらく出かける予定もないため、今期の電車読書の紹介もこれで打ち止め。月曜日の講義で「唐絵」をいろいろ紹介していることもあって衝動買いしたものhttps://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1406/sin_k773.html。近眼が急速に進んでいて、とりわけ絵の確認(カラー34・白黒も多数)はしんどかったが、「気」と「形」を軸とした全体の構図は非常に興味深い。著者によると中国絵画の流れは万事万物を構成する「気」をいかに表現するかで、それがそのまま「形」としてあらわれており模写を否定しない「角砂糖モデル」と、外見と内面の気は一致せず模写を否定する「箱モデル」の何れかに基づいているとする。その歴史的展開は宋代に黄金期を迎え、「気そのものが耀いている」ある種の宗教性を帯びた南宋牧谿を経て、世界の気を表現する院体画と「気でできた世界の描写」を拒否し形そのものを表現した元末四大家以後の流れの並立へと展開し、後者が近世日本で南画と呼称されたという。当方の乏しい知識との関係でいうと、日本仏教美術が鎌倉期を到達としているのも、この流れの影響を受けたものということだろうか。室町期以後のある種の遊びや近世細密画も含めて東アジアのなかに位置づけられるべきなのだろう。なお気になったのは牧谿の評価。著者は大徳寺に伝来した「観音猿鶴図」について、「仮に世界からこれ以外にすべての中国絵画が消滅したとしても、絵画として最高のものであることを、観るものすべてが知ることができる」という最大限の賛辞をおくっている。しかし日本のみで評価されたという研究段階があったはずで、講義のために借りてきた図録でもそれは誤解で中国でも一流の画家という評価だが、最高とはされていなかった。これは著者独自の認識ということなのだろうか。試験前に講師控室で開いたPCニュースで「予言」が的中したことを知る。余りにも予定調和的な展開になった・・・。それに関する理系専門研究者のTwitterを追っかけていくと、本日の朝日新聞記事に関する批判が肯定的に出回っていることを知りより暗澹となる。彼らにとって科学は政治から独立していなければならないのは命題でも、歴史は政治に従属するものらしい。いい加減な「強制連行」の濫用のために、「戦時体制」という概念すら21世紀の日本史の常識からは消し去られてしまうとしたら、朝日の罪は限りなく大きい。