wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」

今朝の地下鉄はGW明けのためかいつもより空いていたが久しぶりにわざと遅らせに引っかかる。それで恩恵を蒙る割合の大きい一区は4月から引き下げ、冷遇に甘んぜざるを得ない当方などは値上げで、相変わらずどうしようもない市長。その上に花粉症が治まらず鼻を拭きながら講義をする始末で、テンションはひたすら下がる。そういうわけで気分転換のため、格安チケットを購入していた表題の展覧会に足を運ぶhttp://www.kyohaku.go.jp/jp/tokubetsu/140422/index.html。まず驚いたのが工事中だった新館の外観が完成していたこと。どことなく既視感があり談合が想像されて嫌なのだが、9月オープンらしい。また馬町十三重石塔が見えないと思ったら、解体された部材が転がっていた。もともと屋外にあったとはいえ、あの無造作さは何なのだろうか。展示のほうは椿井大塚の鏡など南山城の古代遺物、海住山寺笠置寺浄瑠璃寺岩船寺、禅定寺・寿宝寺・蟹満寺など、酬恩庵が伝える仏像・仏画が中心。以下備忘。①海住山寺蔵の釈迦三尊十六羅漢像は建武5年に摂津国河辺郡難波村字新別所で制作された解説される。裏書きなどに記されているのだろうが、時期と場所については気にかかるところ。②常念寺蔵仏涅槃図は、人や象がひっくり返って嘆き悲しんでおり構図が非常に興味深い。また河内国若江郡若江荘(醍醐寺領だったはず)にもともとあり、寛正3年に加茂灯明寺別院の忍禅なるものが購求し、近世に常念寺に移ったという。これまた時期が時期だけに畠山の被官あたりが売り飛ばしたのではという想像が膨らむところ。こういう情報は興味深いのだが、当方のアンテナが弱くなかなか体系化できないのが残念なところ。③一休が置文でやたらと細かいことを言っていて少しイメージとずれる。また永正11年の文書に南庄とあり、湯川新兵衛百貫文から人名が並ぶが展示は途中まで。堺の商人名が分かり、開口神社文書にある奉加記録と対照すれば面白いと思うのだが、どこかにちゃんと翻刻されているのだろうか。客もそう多くなくゆっくり鑑賞でき、少しは気分も高揚した。写真手前が石塔部材。奥が新館。
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