wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

和泉府中

本日は今春発刊の自治体史がらみの講演会に呼ばれ、「中世の小栗街道・熊野詣と和泉」というタイトルで話をする。二人報告で持ち時間が一時間しかなく、最後は端折ってしまったが、熱心な聴講者の前で何とか終えることができた。拙い話を聞いて頂いた方に御礼申し上げます。依頼を受けて史料を改めて読みなおしたところ、こちらの完全な史料解釈の誤り、見逃していたより良好な翻刻による訂正など、執筆した部分をいくつか修正しなければならなくなり、事務局には申し訳ないことになったが、訂正する機会を与えて頂いてありがいことだった。また後鳥羽の詠んだ「平松は、また雲深く、立ちにけり、明けくる鐘は、難波わたりに」の情景、説教「しんとく丸」に登場する「ゆのくち千軒」など新たな発見もあった。当方はこれでお役御免だが、まだまだ府中には追及すべき課題が多い。写真左は「井ノ口王子」跡石碑だが、「ゆのくち千軒」は府中を指す可能性が高い。右はもと信太郷にあり近世に肥子(ひこ)に移ったという伝承を持つ善法寺にある和泉下守護細川元有墓とされるもの。本日事務局の方に尋ねたところ詳細は不明だということだが、もう一ヶ所の元有の墓所建仁寺にあり、現在は浄土宗の善法寺ももともと禅宗の可能性がある。そうなると室町期に熊野参詣をおこなった足利義満側室北野殿が宿泊した国府周辺の禅院が、それにあたる可能性も考えられる。イメージ 1
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久しぶりに阪和線に乗ってダイヤ改正で昼間の各駅が一時間四本に減らされたことを知る。某大学は市長に棄てられる前に、JRに見捨てられたようだ。