wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

「一五世紀における淀川水系の寺院ネットワークと地域社会」

2月に原稿を提出し、本日開催の大阪市立大学日本史学会第16回大会にあわせて刊行された『市大日本史』第16号に掲載。副題を「応永一九年北野社一切経書写を手がかりに」とつけたように、一切経書写に結縁した摂河寺院を拾い上げて、聖徳太子伝奥書と合わせることで、それらの寺院が都市ネットワークの中核に位置することを論じたもの。ただし取り上げた寺院の大部分は近世成立期までに姿を消してしまったため、別の文書を用いて所領の錯綜状況についても述べ、それにも関わらず収取が実現していた要因として寺院の存在の重要性を論じた。論文には書かなかったが近世の相給村落的支配は中世成立期からあり、その担い手が寺院から村落そのもの(もしくは庄屋)に転換したのが大きな相違というべきか。昨年秋に一日のみ東京大学史料編纂所で写真帳めくりをしたのみで、綿密な調査成果にもとづくとはいえない点は大きな問題だが、聖教奥書を素材に地域史を描くという新たな試みに取り組んだもの(もっとも大阪という地域そのものが世界に冠たる悪評を広めているなか、黙殺されるだけかもしれないが・・)。近く関係者にはコピーをお送りしますが、会員と思われる方には送付しませんのでご了承ください。なお大会は報告だけ聞いて帰るつもりだったのだが、思いもかけず旧知の面々が集まっており二次会まで参加することに。少し出費にはなったが、有意義な時間を過ごすことができた。