wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

中山智香子『経済ジェノサイド』

本日は午前中に京都で講義、昼休みに図書館で大日本古記録『愚昧記中』から『薩戒記五』への借り換えを済ませ、午後は大阪に戻り仕事の打ち合わせ。一般向けに工夫する必要があるが、ちょうど材木屋さんの話がフィットする原稿依頼で、しゃべりすぎてしまったかもしれない(すみません)。電車読書のほうは、最初に見かけたときは一度手にとって戻したのだが、その後のいくつかの媒体での評価を見て購入したものhttp://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/frame.cgi?page=series.sinsho/経済思想史の立場から、西洋近代の人間観であるフマニタスと、それに統治・支配されてきた人間一般を指すアンドロポスという二つの類型を対比した上で、経済学はフマニタスがもつ権力や統治の性質を考慮の外に置いた「ホモ・エコノミクス」モデルを純化させてきたとし、それが1973年のチリ・クーデタ後のピノチェト軍事独裁下で導入されたフリードマン主義の新自由主義経済改革となり、投資によって賃金労働者の苦境から抜け出せるという「所有者社会」の夢を語ることによって以後の世界を席巻していったことが示されている。見開き頁毎に文の区切りと無関係に註が左端に表記されるというWord方式は、電車読書では大変読みにくく、やや文意のとれないところもあったが、ポラニー・AGフランク・ガルブレイスドラッカーなどの立ち位置が整理されていて勉強になった。とりわけ興味深かったのは、変動相場制以後の貨幣の自己増殖によるオフシェア市場やタックス・ヘイブンの拡大は、フリードマン主義の原則による一方でその理論の中に制御する方法がなかったという論点。昨日も国債を大量に買い込んだら当然起こりうると批判されていた長期金利上昇に対して、制御できるという馬鹿げた(本当は出来ないと思っているがいわないだけ?)ことを日現総裁が発言していたが、本家本元がわからないとなるとひたすら破綻に向かうだけなのだろう。なお著者は進歩・前進をひたすら追い求めるフマニタスの知に対して、「不服従」の姿勢をとることがアンドロポスの経済思想だと締めくくられる。、思想史家としての立ち位置としてはわかるのだが、経済理論としての具体像はよくわからなかった。