wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

久野修義先生と姜克實先生を囲む会

土曜日は表題の会に出席するため岡山へ。母校である岡山大学日本史研究室所属の教員2名の還暦(厳密ではないが)をお祝いする一次会からはじまって、このところの岡山では恒例になっているカラオケの四次会まで、12:00過ぎから22:20ごろまで、旧知の方々との再会を喜び、関西でODになっている方と新幹線で深夜に帰阪。久しぶりに原点に戻ることのできた時間となった。みなさまありがとうございました。以下は一次会のスピーチの言い訳を兼ねた昔語り。久野先生が着任されたのは当方が3回生の6月で、乾杯の発声は一年上の先輩が、記念品贈答などの役割は最初から教えを受けた後輩たちの担当となり公的役割は免れたが、同窓会的近況報告ということで一人一人スピーチの時間があった。私自身の関わりは、体調不良のためだったか引っ越しを手伝っておらずご家族にお目にかかったこともない。着任される前に研究会で論文の勉強会をしたがよく理解できなかった。3回生後期の史料講読は東大寺再建供養に関する大日本史料が取り上げられたが、「秉燭」を「乗燭」と読むなど不勉強で全く歯が立たなかった。4回生前期の講義は教育実習を終えてから(もしくはそれ以前から朝がしんどくて)出なくなってしまった。卒論作成に当たっては、研究室に呼ばれて方針を語ってOKをもらった記憶しかなく、指導された内容については全く覚えていない・・・といった状況でそれほど影響を受けていない気がする。その一方でスピーチでも語ったが、大学院に進みたいという相談をした時に岡山大ではなく関西に行け(実名としてあげられたのは神戸大学)といわれたのは、その他にも事情はあったにしろ岡山を離れる決定的な後押しになったことは間違いない(神戸大はあっさり落ちて拾ってもらえた大阪市大になったが)。当方の今日の為躰のため、二次会で過分な心遣いをさせてしまい恐縮して反応できなかったが、もとより先生の責任ではない。ふがいなさをお詫び致しますとともに、先生の今後のご活躍とご健勝を改めてお祈り申し上げます。