wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

春合宿・周防編

今週の火曜日から金曜日まで、某ゼミの春合宿に混ぜてもらって周防・石見を巡検してきた。火曜日午後は防府天満宮周辺・国分寺・国庁跡・三田尻をまわり防府泊。天満宮周辺は中世以来と考えられる街区がよく残っており、町の境界に立地する堂もそのままかあるいは真宗寺院に姿を変えてみることができた。天満宮そのものも廃仏毀釈の影響は見られるものの、本地堂が残るなどそれ以前の景観を窺うことができる。これまで訪れた中でも中世都市が、これだけ地表に残っている事例は珍しいもの。近世は三田尻が港湾として発達するため余り改変を受けなかったようだ。いつものごとく駆け足になってしまったが、何れゆっくりと観察したいところ。夜に三田尻で食べた外見はごく普通の居酒屋も、値段の割に牡蠣や白子など海の幸を満喫することができた掘り出し物。水曜日は防府から山口に向かい、高嶺城にのぼり、下って伊勢から大内氏が勧請したという山口大神宮(もとの名は高嶺神明)、市立資料館、洞春寺・瑠璃光寺をみて、東京で修行したというそば屋で昼食。午後は大内氏館に立つ龍福寺を創建当時に復元する工事現場を見学し、最近勉強している中世の建築技術について実際に学ぶことができた。その後は大内氏館を発掘担当者に案内してもらい、少ない時間だったが町も一通り巡る。防府ほどではないが、県庁所在地で中世都市の姿がうかがえる唯一の事例といってよい。夜の懇親会は普通の居酒屋だったが、宿での二次会は予約でないと手に入らないという日本酒が絶品。宿も格安ながら広くて温泉付で、ゆっくり楽しむことができたが、少し飲み過ぎで朝風呂に入れなかったのは残念。木曜日は凌雲寺・興隆寺など郊外にある大内氏関連の寺院跡をタクシーでまわり、昼食は大内義興が足利義殖を迎えた供膳食全32膳の一部を再現したというものでhttp://www.yamaguchi-city.jp/information/5103.html、醤油・みりん・砂糖などの調味料が使われていないため、少し生臭いが素材の味を堪能して周防を後にした。写真は凌雲寺後に残る石垣で、中央が門跡とされる、その奥にもう一段石垣があり、現在はつながっているが、門跡とつながる部分は後ニ埋められたもので発掘調査で階段があったことが確認されている。城郭研究者が16世紀前半という発掘調査成果を信じないほどの壮大な石垣で、粉雪がちらつく中での見学はとても寒かったが大変な見所であることは間違いない。イメージ 1