wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

下赤阪城

正月は例年一日夕方に実家に帰り、三日に戻ってくる。18歳で家を出てしまってしかも自分に家族がいるわけでないため、二泊もすると大変疲れるが、実の両親なので仕方がない。そういうわけでテレビを見ているか、食事をしているかしかすることはないのだが、それだけだと息が詰まるので、関東大学宣伝大会が終わる午後からは外出して史跡巡りに当てている。今年は2日には徒歩で1時間かけて富田林寺内町を巡り、また徒歩で戻ったのだが、十分な下調べをしていないため、高野街道で迷子になってしまい、結局は車通りの多い新道を通る羽目になってしまった。また興正寺も門を閉ざしてしまっていたが、寺内町の周りを歩き回って20年ぶりに改めてその高低差を確認することができた。今日は電車とバスを乗り継いで千早赤阪村まで行き、いくつかの史蹟を確認してくる。こちらは全く初めてで、楠公誕生の産湯・没600年後に建立された皇紀2600年のものと似たデザインの塔、建水分神社、上赤阪城(残念ながら時間の関係で縄張りまで確認できなかった)などを歩いて回り、最後に寄ったのが下赤阪城。こちらは特に縄張り図もなかったので恐らく遺構は残っていないのだろうが、眼下に広がる棚田の光景はすばらしい。これを見てしまうと「棚田と水資源を活用した楠木正成」という論文も書きたくなるのはわからないではないと思う・・・。帰りのバスの時間をちゃんと確認していなかったため、15分ほど寒空に待たされたが、有意義な時間だった。とにかく明日からは勉強だ。
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