wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

外池昇『神武天皇の歴史学』

引き続き、電車読書の備忘。教養講義「古墳と天皇陵」で取りあげていることもあって、購入していたもの。文章は全体としてやや回りくどい印象があるが、文久の修陵直前に、孝明天皇の意向もあって比定地が変更されたこと、それと別に本居宣長・北浦定政らの説があり、近代になってもすぐにそれが払拭されたわけではなかったことなど、経過が理解することができ、図版も有益。また一般に1月29日とされた紀元節が2月11日になったのは、30日が孝明天皇祭だったため、というのも明確な史料的根拠はないとのこと。

『神武天皇の歴史学』(外池 昇):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

下市

本日はふと見かけた吉野に関する講演会に出かける。報告にも興味があったのだが(実際、播磨の寺院名が登場して驚き・・・)、会場の最寄り駅から以前から気になっていた下市に行けるというのも大きな動機。山科本願寺から吉野材木が突然出てきて、それとセットで登場する町で、真宗がルートをつくったと妄想しているため。朝7時前に出かけて9時に到着し昼まで歩き回ったが、想定以上の巨大都市。地名大系によると天明八年村明細帳で家数1088で、歩いても数キロにわたって田畑がほぼ見当たらず家が建ち並ぶ。早い時期の真言に対して、戦国期に真宗寺院が建立され、町の東西に並び、バス停には「寺内」がみられる。永島福太郎の先行研究があるが、当方も取り組んでみたいところ。なおちょうど昼前に寿司屋を見かけ、日替わり定食で鰻握りにありつく。先日の願望が通じたか。

吉野川上流方向、対岸に材木が集積されている

文明の親鸞画像をもつ真宗寺院立興寺(山上は秋津城跡)から対岸の願行寺を臨む町の中心部

 

金太郷

本日は塼列建物の研究会。久しぶりにお目にかかる方も多数おられていろいろ勉強させていただく。会場最寄り駅は旧宅と実家の乗り継ぎ駅で数え切れないほど通り過ぎていたのだが、本日昼休みにはじめて巡検。中世鋳物師の在所として知られる金太郷(現地名は金田かなた)。気になったのは集落に多数の真宗寺院が立地していたことで、戦国期の事情が気になるところ。

右手を直進するのが竹内街道。中央に鎮座するのが巨瀬金岡を祀るという金岡神社。

 

京都府立京都学・歴彩館「東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩 後期」

本日、論文コピー、近衛家文書デジタル閲覧のついでに観覧(というか会期にあわせたもの)。いきなり「Q12『まだ~していない』は古文書ではどう書きますか?」から始まり驚いたが、会場で入手した前期の解説「Q1文字も文もわかりません。それでもわかることは何かありますか?」から始まり、今回のQ16までの問について、具体的文書を素材にして解説するというコンセプトのようで、展示パネル・配布される解説も、文書の歴史的背景には深く踏み込まず、問と形から説明するものになっている。Q12などわかりにくいものもあったが、今回の「Q14書き間違ったときはどうするのですか?」では、関東裁許状のうち、「東大寺領伊与国弓削嶋」の「大」、2ヶ所の「細」の裏に奉行人らしき人物(解説は「裁判所の人」)の裏花押が据えられ、誤字であることが示されているもの(「細」は「網」の誤記)や、軸の現物などを示すためには適切か。ただそれとは別に信長・光秀・秀吉・家康関係文書があげられていたのはいかがなものか。また前期本文31頁・後期29頁のコピー用紙を綴じた解説パンフが配布されているが、全くの無記名で、以前もそうだったように思うが博物館の図録でも一般化したように個人名を入れるべきだろう。

【2月17日~3月10日】東寺百合文書で古文書解読!鎌倉・室町・戦国時代~中世文書、はじめの一歩 後期|イベント|歴彩館公式ページ【京都府立京都学・歴彩館】京都北山の総合学習施設 

デジタル閲覧は今回が初めてだったが、担当職員に1Fの専用の部屋を開けてもらわなければならない仕組み(もともと水曜日で申請したが合わないと言うことで断られた)。職員は席を外すこともできないようで、申し訳なくなって早めに出ることに(文明十二年からはじまる「雑事要録」は毎年の全所領の出納状況・贈答記録・支出などが記されるとんでもないもので、途中から代官請が不知行化したこともあって先が見えず挫折したのが実情ともいえる)。特に閲覧文書の具体名を申請するわけではなく、2Fの一郭に専用端末をおいておけばよいように思うのだが・・・。なお富家殿からの宇治丸をみていると久しぶりに鰻が食べたいところ。また本日の行き帰りだけで花粉症再発、にもかかわらず日曜日は杉の本場に出かける予定・・・。

佐藤信弥『古代中国王朝史の誕生』

引き続き電車読書の備忘。タイトルと1月の新本屋によるタイミングとポイント消費の関係で衝動買いしていたもの。過去をどのように認識し、どのように記述するのかという問題について、甲骨文字・金文中心の春秋時代までを歴史認識、「春秋」が成立する戦国時代から前漢の「史記」までを歴史書歴史観という主題を立てて、叙述したもの。出土文字資料が多数発見されるなか、同一事象に対する複数の評価を紹介しながらこの問題を追及している。甲骨文字段階から竹簡が存在したこと・紀年法から年号の誕生・「焚書坑儒」の実態(始皇帝初期の政策ではなく、書物の散逸の理由がそれに求められた側面も)・説話の転化(始皇帝の出生譚には元ネタあり)など、いろいろ基礎的なことを知ることができたのは有益。

筑摩書房 古代中国王朝史の誕生 ─歴史はどう記述されてきたか / 佐藤 信弥 著

兵庫県立兵庫津ミュージアム「知られざる山城の魅力‐中世播磨250の山城‐」

南京町を少し歩いて(昼時で、関西イントネーション以外も含めた日本語をしゃべる高・大学生が圧倒的)、地下鉄で表題の展覧会へ。副題は木内内則氏の同名書がもとになったものだが(縄張り図とともに復元イラストを描かれる方)、取りあげられているのは当方の姫路勤務時代に行われていた西播磨山城復活プロジェクトの対象に、三木城など一部東播を加えたもの。実物資料は「三木城絵図」・「利神城古図」と発掘調査で出土した遺物。当方が深く関わった赤松居館跡などもあり、とりあえず確認したというところ。展示パネルの内、木内氏のイラスト以外(こちらは別に書籍として販売)を収めた16頁のカラー・パンフレットが無料配布。

企画展「知られざる山城の魅力ー中世播磨250の山城ー」 | 兵庫津ミュージアム 

そこから中央図書館まで歩き、懸案になっていた書籍を確認(結局、成果なし)して帰宅。スマホは16804歩で結構疲れた。

神戸市立博物館「コレクション大航海 蝦夷発→異国経由→兵庫行」

中世文書が展示されていることを発見し、本日観覧。3PERTからなり、最初が地図資料、主眼は蝦夷地がどのように描かれているかということだが、1570年オルテリウス「タルタリア図」から始まり、17世紀前半までの日本を描いた地図が揃う。単眼鏡で文字を読んでいたのだが、室・兵庫・堺・都などのアルファベットは読み取れたが、理解できなかったものもあり気になるところ。また林子平幕藩体制下にあるところとそうでないところを区別しているが、幕末には三国図として琉球蝦夷地・朝鮮を日本本土と同じ凡例で描くものが登場し、その意識が気になるところ。次は近世の絵画資料で南蛮を描いたもの、中国・西欧の技法の影響を受けた作品、輸出用のものなのだが、17世紀前半(初期二条城)の「洛中洛外図屏風」も興味深い。最後が兵庫で、山田荘の算用状1点・捶井文書4点のほか、明和6年・寛政9年・安政から文久という3枚の凡例が踏襲されている兵庫津絵図が並び、町の拡大過程が興味深い。その他にコレクションでは近世大坂絵図があり、常展の地域室は考古資料。なかなか見所の多いもので、HPのPDFと同じものが上質紙パンフとして無料配布。

開催中の展覧会 - 神戸市立博物館