wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師などで生活の糧を得ていますが(求職中)、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

藤田達生『信長革命』

2007Bの印象がよくなかったので、どうしようかと思ったのだが、一応購入して月・火の通勤時間で読了するも・・・。「中央集権化の動きとは、自然発生的ではなく、不世出の哲人によって自覚的に進められた政治改革そのものだった」「本能寺の変の後、これらの政治課題への対処は、優秀な弟子というべき秀吉に委ねられることになる」「信長は、東アジアに押し寄せるポルトガルやスペインの動向を憂慮し、一世紀に及ぶ戦国動乱に終止符を打つべく熟考した。諸大名が、自領の維持に汲々としていた時期に、信長一人は日本の行く末を憂えたのである」「信長による優勝劣敗を強いる改革の行き着く先が、『平和』を標榜する独裁者・秀吉の際限なき侵略戦争だった」「本能寺の変の後、数々の大規模戦争を経験し、朝鮮侵略という大失政の末、戦国時代以来の膨張主義の決定的な挫折に直面して、ようやく家康とその一門・幕閣のみならず高虎や光政といった外様国主大名にも、信長に通じる治者としての合理思想が受け入れられたのであった」「信長の戦国大名から台頭した希代の改革者としての側面を強調したことから、戦前のアカデミズム史学を根本から克服することはできなかったのである」・・・。私には全く理解ができない。歴史上に哲人など存在せず、人間は時々の状況に対して最善と認識する選択をするのみである。ときには行き当たりばったりと見えても、それが偶然と必然によって様々な結果をもたらすものだろう。信長・秀吉も同様だと考えるが、歴史学者はそれをどう整合的に全体像を構築するのかが求められているhttp://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=201009000219