wsfpq577’s blog

日本中世史専攻、大学非常勤講師・研究員などとして生活の糧を得ていますが、ここでの発言は諸機関とは全く無関係です

天野忠幸『三好一族と織田信長』

本日は2.11。ほぼここでしかお目にかかれない方が、何人かいらっしゃるのだが、そのうちのお一人である大先生にブログを見ているといわれ恐縮してしまう。講演は女性弁護士の方による戦争法の解説とその後の情勢についての分かりやすい説明。最後に紹介されたが50回目で女性講演者メインは初めてとのことで、「戦後社会運動」をある意味で象徴している。当方は某仕事のため翻刻しなければならない検地帳について、近世史の先生にレクチャーを受けることができたので、その点でも意味があった。そんなこんなで読了済みの電車読書の紹介http://www.ebisukosyo.co.jp/products/detail.php?product_id=217。三好氏研究の第一人者となった著者が、その視点から信長について逆照射したもの。全体は三部構成になっており、第一部では三好長慶が結果的に将軍を擁立することなく京都支配を確立し、三好氏自身の家格を上昇させていき、後継となった義継が将軍家並という自意識を持って足利義輝を殺害したとする。しかしこれが秩序の揺り戻しを起こし、第二部では明確な構想を持っていなかった三好氏が分裂する中で、足利義昭の「天下」を再興すべく織田信長が上洛し、三好義継・松永久秀は信長の対等な同盟者に、三好三人衆本願寺とともに信長への対抗勢力となったとする。そのなかで信長は三好長慶を先例として家格を上昇させ、足利義昭を追放して天正改元を実現し、第三部では、三好康長を降伏させ家臣に編成するとともに堺を安定的に掌握、安土城の築城・本願寺の大坂退去を実現させたことで、「天下一統」=統一を掲げるようになるが、本願寺降伏が逆に四国政策を転換させることになり、はしごを外された長宗我部元親の取次役だった明智光秀による本能寺襲撃を経て、秀吉が三好長慶を先例として信長葬儀を主催し、武家関白豊臣氏による大名編成が行われるようになったとし、足利氏を中心とする秩序や意識を相対化したのが三好長慶織田信長で、新たな統合の枠組みを作ったのが豊臣秀吉徳川家康であると評価する。ここ数年の間に当該期の研究は飛躍的に進展しているのだが、当方は全くついて行けておらず久しぶりに接することになったが、全体の流れはひじょうにクリア。戦国のややこしい畿内の状況が明らかになったことで、信長がそれにいかに規定され続けたかというのが浮き彫りにされている。また複雑な諸勢力の合従連衡が一つズレると情勢をどんどん変えていくところも興味深い。時代遅れになりつつある当方の講義も来年度は組み替える必要があるが、研究が進めば進ほどプレーヤーが増えていくのが政治史の難点で、それをどう処理するかが悩みどころ。ようやく試験の採点が終わったが、2月は締切仕事が三つあり、いろいろ慌ただしいこと。